2005-02-01から1ヶ月間の記事一覧

那須博之監督が亡くなられた

●那須博之監督が亡くなられた。85年から88年の間に6本つくられた那須監督の『ビー・バップ・ハイスクール』シリーズは、ぼくにとって、相米慎二の『ションベンライダー』とともに、映画というものがまず「視覚」に訴えるとこによって人を魅了するのだという…

●浅い眠り。昨日あまり寝てなかったので、少し眠っておこうと午後から横になった。でも、意識の表面だけがどんよりとして、芯が堅く残り、その芯までは眠りに溶けてゆかない。目を閉じて横になっている、という意識はある。眠ろうとしているのだ、という意識…

●練馬区美術館まで、岡崎乾二郎のギャラリートークを聞きに行った。展覧会のタイトルが「創造のさなかに ただいま制作中」というもので、制作のプロセスに注目するというようなコンセプトの展覧会のなかでのイベントなので、岡崎氏の絵画作品の、制作上の、…

岡崎乾二郎『ホームレスについて』

●以下は自分のためのメモ的な要約。例によって、要約と自分の考えとが曖昧に混じっていて、要約としては正確ではないので、信用しないで下さい。 ●岡崎乾二郎は『ホームレスについて』(「美術手帖」95年7月)という重要なテキストで、「〈見ること〉は、既に…

●歩行者用の、赤と青(緑)とが縦に並んだ信号機は、裏側から見ると石油ストーブのタンクのような形をしている。その信号機の上に、つやつやと光沢のある黒い羽をもったカラスが一羽とまっている。そのカラスが、カアカアカアカアカアカア、と鳴くと、それに呼…

●春一番が吹いたそうだ。一面に靄のようなものがかかり、それに地上の灯りが反射して空はぼんやり寝ぼけたように明るく、星はひとつも見えないのだけど、白く輝くまんまるの月だけは、その表面のクレーター模様までもがくっきりと浮かび上がっている。それを…

●ぼくがゴダールの映画で断然好きなのは80年前後につくられたもので、『勝手に逃げろ/人生』(79)『パッション』(82)『フレディ・ビアシュへの手紙』(81)といった作品だ。確かに、『女と男のいる舗道』(62)の古典的ともいえる美しさは圧倒的だし、『はなれば…

●そろそろ鼻が花粉に反応しはじめた。でもまだ空気は冷たい。ぽーっとつっ立っていたら、道路を挟んで向かいにあるパチンコ屋のシャッターが、ギュルギュルルルルルル、と大げさなノイズとともにゆっくりと開きはじめた。(午前10時ちょっと前。)店のなかから…

●アンゲロプロスの『シテール島への船出』をビデオで観ていて思いだした、映画とは関係のないこと。ぼくがこの映画をはじめて観たのはテレビで、何時だったか正確には思い出せないが80年代半ばであることは間違いなくて、フジテレビでやっていた「ミッドナイ…

05/02/19(土) ●昨日の夜は冷え込んで、雪もかなり激しく降ってきたので、積もるのかなあと思っていたのだが、朝起きると雨になっていた。雨はしつこく一日中降り続き、夜中になってやっとあがった。雨があがってから、深夜12時までやっているスーパーに、時…

パーソナルギャラリー地中海で、堀由樹子・展

●代官山のパーソナルギャラリー地中海で、堀由樹子・展。ここで展示されている2点の大作(『河川敷』と『平地』)は、去年の鎌倉画廊や一昨年のギャラリー千空間で発表された、風景(というか、ある「領域」のようなもの)を描き出そうとする試みの一連の作品の…

反復

●人の流れが途切れ、ざわめきが遠のくと、エスカレーターというものが、思いのほか大きな、うなるような音をたてて動いているのだということに気づく。モーターが回転するブーンという持続する音と、次々とあらわれては上昇して消えてゆくステップが、開かれ…

05/02/16(水) ●昨日とはうってかわって、とても寒い。実家を出る時には雨だったが、アパートに帰る頃には雪になっていた。

●4月の展覧会の打ち合わせのために川崎まで行く。打ち合わせ後、ギャラリーの北村さん、今、ギャラリーで展示している(と言うか今日が最終日だった)鈴木さん、野村さん、そして作家の中川さんと飲みにいった。そして、終電を逃してしまう。別にそんなに遅く…

●毎日、少しずつ日が延びているという感じが、ここ数日で、暮れるのが遅くなっているという感じになった。つまり、「秋の日はつるべ落とし」の逆で、夕方(という状態)が少し長くつづくようになったと感じられるのだ。日が落ちてもすぐには暗くならずに、透明…

シュウゴアーツで辰野登恵子・展

●昨日、シュウゴアーツで辰野登恵子の絵(http://www.shugoarts.com/jp/tatsuno.html#top)を観ながら、ああ、久々に辰野登恵子だなあ、と思った。この馬鹿な感嘆は、たんに辰野氏の個展が4年振りだということを意味するのではない。正直言って、90年代以降の…

、佐藤友哉『鏡姉妹の飛ぶ教室』

●シュウゴアーツに、辰野登恵子・展を観に行き、行き帰りの電車のなかで、佐藤友哉の(待望の)新しい長編『鏡姉妹の飛ぶ教室』を読む。辰野・展は今日が最終日だと思って無理して出かけたのだが、来週までやっているみたいだった。 ●『鏡姉妹の飛ぶ教室』は、…

『オーソン・ウェルズのフェイク』

●『オーソン・ウェルズのフェイク』をビデオで。前に観たのは確か十代の頃だったので、ほとんど忘れていて初めて観るようなもの。とても面白かったのだが、終盤のオヤ・コダールとピカソについての小話は、誰がみても余計で、ない方がよかったと思う。贋作画…

●実は昨日の夜の外出はかなり辛かったのだが、今日、目が覚めた時にはずいぶんと楽な感じになっていた。それでも、風邪の名残りというか、病み上がりのけだるさが全身に残っているし、咳と鼻水は相変わらずで、電車で座ったりすると泥のなかに引きずり込まれ…

●昨日目が覚めた時にすごく喉が痛くて、さらに寒気がして、どうやら風邪をひいたみたいなのだが、今日の夕方から出かけなければならない用事があるので、とにかくそれまでに出かけられる状態にまで回復させなければならず、昨日から今日にかけて、とにかく無…

榎倉康二・展、再び

●eyck氏がここ(http://d.hatena.ne.jp/eyck/20050207)で榎倉康二について書いているので、刺激されて、榎倉作品について(一昨日につづき)もう少し書いてみる。 ●榎倉氏の作品の特徴は、世界と身体との一体化にあるのでも、世界と身体との切断にあるのでもな…

●ちょっとした時間の隙間で、「新潮」(3月号)の冒頭に載っている村上春樹の『偶然の旅人』を読んだ。村上春樹を読むのはずいぶんと久しぶり(『スプートニクの恋人』も『海辺のカフカ』も『アフターダーク』も読んでいない)なのだが、これはちょっといい話で…

東京都現代美術館の榎倉康二・展

●東京都現代美術館で、榎倉康二・展を観た。この日記の04/12/21にも書いたのだが、80年代後半から90年代はじめ頃に美術を志していた若者にとって、榎倉康二という人から受けた影響は計り知れないものがある。それは、今日たまたま会場でお会いした(当時芸大…

保坂和志・ジョン・カーペンター

●観たい映画や展覧会がいくつもあるのだが、なかなか出かけられない。でも、制作が少しすすんだ。足りなくなった画材を買って帰ってくると、(書いているわけではないのに)「新潮」(3月号)が届いていた。保坂和志の「小説をめぐって」(十四)には、たいへん勇…

●「良くないリズム」は一度はまると結構定着してしまう傾向があり、それを変えるのは厄介なことだが、事態を動かしてゆくには、まずそのリズムこそを意識的に動かそうとしなければいけないのだろう。ただ、経済的な余裕のなさというのは、その時に取り得るや…

ジェーン・オースティン『ノーサンガー・アベイ』

●ジェーン・オースティンの『ノーサンガー・アベイ』(オースティンの初期作品でキネマ旬報社から出ている)を、ちびちびと読みはじめる。ジェーン・オースティンの小説は、まとめて(一気に)読もうとすると退屈に思えてしまうのだが、ちびちび読むと凄く面白い…

●散歩していて、住宅街のただなかにある空き地に、かなり大きな糸杉(多分)が生えているのを見かけた。それはゴッホが描いているようなかたちで上へと枝が伸びてはいなくて、全体がカボチャのようなまるいシルエットになるように枝がのびていて、そのごろっと…