2018-06-01から1ヶ月間の記事一覧

●清水高志さんのツイッタ―によると、柄沢祐輔設計の清水邸「S-house」(の模型)が、正式にポンピドゥーセンターの収蔵作品となったようです。柄沢さん、清水さん、おめでとうございます。 https://twitter.com/omnivalence/status/1011936647439499266 S-hous…

●お知らせ。本日づけの東京新聞の夕刊に、初台のICCでやっているオープンスペース2018「イン・トランジション」から、永田康祐の「Sierra」という作品についての美術評が掲載されたはずです。まだ確認できていませんが。 ●体調はほぼ戻ったのだけど、風邪の…

●今日もまだ、半分は寝ていた。 ●メイヤスーの『亡霊のジレンマ』には、「思弁的唯物論の展開」というサブタイトルがついている。いままで通常「思弁的実在論」とされていたのが「思弁的唯物論」になっているのは、メイヤスーとそれ以外の人(ハーマンやガブ…

●一日じゅう寝ていた。夜にはずいぶん楽になったが、この二日、寝ている以外まったく何もできなかった。 風邪をひいて、一日中苦痛と共にある浅い眠りを眠っている時、YouTubeでなるべく時間の長いどうでもいい動画を低いボリュームで流しっぱなしにして、特…

●風邪をひいたみたいだ。先週、かなり忙しかったから(忙しいというより、いろいろ厳しかったから)疲れが出たのか。昼間、外を歩いている時にすごく体がだるくて、夜には、だるさがほとんど動けないくらいのレベルになる。寝ていてもだるい。

●『3-4X10月』(北野武)を久しぶりにDVDで観た。1990年の映画。『ワイルド・アット・ハート』と同じ年だ。この映画には、文脈を無視して唐突に現われた異物のような新しさがあった。「新しさ」というのは、そういう風にしてあらわれるのだと思う。 (多くの人-…

●写真。

●新聞のための900字程度の原稿を書くのに、やたらと時間がかかってしまう。三日くらい平気でかかったりする。アートの知識を前提としない人に向けて、ごく短い分量で、「読める」文章として、アートについて多少なりとも何か意味のあることを書くというのが…

●ホテル・オークラで、三島賞、山本賞、川端賞の合同授賞式、および受賞パーティ。本が売れないとか、出版不況とかいう話が嘘みたいな豪華なパーティだった。 二次会が終わったあと、ある人の導きにより、朝まで、ディープな渋谷を経験させてもらった。 そこ…

●ICCの永田康祐は、「ポストプロダクション」という写真の作品もとても面白かった。 http://www.ntticc.or.jp/ja/archive/works/postproduction/ 「Malformed Objects」の時の写真作品は、多重露光(という言い方は全然デジタルっぽくないのだが)みたいな感じ…

●ICCで永田康祐の「Sierra」を観てきた。恵比寿映像祭で観た時は、何か仕掛けがあるのではないかと思ってパソコンをいじり過ぎて、なにがどうなっているのかよく分からなくなってしまったのだけど、まずはただ観ていればよいのだと分かり、ようやくちゃんと…

●ネットフリックスで『ダンケルク』を観たのだけど、これは映画館で観ないと駄目な映画なんだなあと思った。 クリストファー・ノーランは今まで、(これは、良くも悪くもという意味でだが)「知的なたくらみ」のようなものが基本にある(あるいは、まず前に出る…

●ロバート・アルトマンの『三人の女』をDVDで。77年の映画。『ロング・グッドバイ』とかもそうなのだが、七十年代の地味目のアルトマンの映画は空間的にとてもかっこいい。ここに既に、相米慎二も黒沢清もデイヴィッド・リンチもいる、という感じ。以下、ネ…

●今日、雨は降っていない。緑。

●マルクス・ガブリエル(『なぜ世界は存在しないのか』)は、対象領域のなかにあらわれる対象と、意味の場のなかであらわれる現象とを分けて考える(意味の場は、対象領域を含むより広い概念)。対象領域のなかで現れる対象は、検証可能である必要があり、間違っ…

●huluでの配信が今日で終わってしまうというので、あわてて『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を観た。気づいたのが午後十時過ぎだったので---十二時には観られなくなってしまうので---本当にギリギリという感じで観られた(『ダウン・バイ・ロー』までは…

●昨日の日記にも書いたが、『パターソン』(ジム・ジャームッシュ)で重要なのは、パターソンの二つの生の流れ(バスの運転手であり、妻と二人で暮らす生活と、詩を書くということ)が、絡み合いながらも、分離しているというところにある。 自分の住む土地と同…

●DVDで観たのだが、ジム・ジャームッシュの『パターソン』すばらしかった。序盤からほぼ半泣きみたいな感じで観た。フレームのひとつひとつがいちいち泣ける。 ジム・ジャームッシュももう六十代半ばで、それでもこんな映画をつくっている。それは「若々しい…

●ひかりと反映

●『レスト―夫人』の三島芳治によるウェブ連載、『児玉まりあ文学集成』。正直、いまのところはイマイチだけど、今後の展開に期待したい。 http://to-ti.in/product/mariakodama ●価値観を揺さぶる「近未来予測」に、あなたの人生設計は耐えられるか?:『〔…

●『贖罪の奏鳴曲』をhuluで観た。さすが、という感じではある。ほとんどそのまま『ユリイカ』その後ともいえる話なので、青山真治がこのドラマの監督をやっているというのには納得する。 同時に、あからさまに母-息子関係にかんする話でもあり、染谷将太とと…

●『黒衣の刺客』(ホウ・シャオシェン)をhuluで観た。ホウ・シャオシェンとリー・ピンビンによるマニエリスムの極致みたいな映画で、前に一度、DVDを借りてきたことがあるのだけど、その時は、十分か二十分くらい観て、ぼくはこれにはつきあえないと思って観…

●アブダクションは、常に誤謬であり得る可能性をもつ推論過程である。それは欠陥ではなく、「誤謬であり得る」可能性こそが、その推論の過程において言及されるものの外側(その「地」)を同時に示すことを可能にする。そしてそれはフィクションの意味につなが…

●パースの記号論において、「記号」とは、「誰かに対して別の何かを表す何か」のことだ。この、誰かが「解釈項」、別の何かが「対象」であり、記号過程は、解釈項と対象が記号によって媒介されるという三項関係となっている。解釈項は、解釈する心とも言い換…

●夢と現実がごっちゃになることはしばしばある。起きてからもしばらくは、夢で誰かとした約束を現実のものだと思っていたり、夢であった出来事を現実の出来事であると思っていたり(たとえば、長く会っていない古い友人と会った夢をみて、それを現実に会った…

●昨日の深夜の清水高志さんのツイッタ―でのチェスタトンについての発言が、フィクションについて考える上で非常に重要だと思われるので、メモとして引用させていただく。 https://twitter.com/omnivalence/status/1003641328779972608 https://twitter.com/o…

●『HMDによる構成的空間を舞台とした「三人称的自己」の顕在化』で、小鷹研理は、自己のもつ主体感(agency)と身体の所有感(ownership)という二項に対し、第三の項として「deownership」という概念を提出している。 https://confit.atlas.jp/guide/event-img/…

●五月に撮った写真、その二。

●五月に撮った写真、その一。

●鎌倉で、平日の昼間から酒を飲む保坂さんの川端賞受賞を祝う会。保坂さん関係の集まりでいつも思うのは、保坂さんの小説の読者層の不思議な広さだ。老若男女がバラけているということもあるが、それだけではなく、文芸系やアート系など特定のクラスタに限ら…