ロバート・アルトマンの『三人の女』をDVDで。77年の映画。『ロング・グッドバイ』とかもそうなのだが、七十年代の地味目のアルトマンの映画は空間的にとてもかっこいい。ここに既に、相米慎二黒沢清デイヴィッド・リンチもいる、という感じ。以下、ネタバレあり。
●三人の女というより、二人の女と一組の夫婦という感じで、群像劇ではなくミニマルな関係によって成立している話。二人の同じ名(ミルトレッド)を持つ女。一人はミリーと呼ばれ、もう一人はピンキーと呼ばれる。田舎から出てきたばかりのピンキーには(出身地も名も同じ)職場の先輩であるミリーが完璧な存在にみえ、強い憧れをもち、二人はルームシェアをするようになる。そしてピンキーはミリーにストーカー的に執着する。
一方、ミリーは、実はそんなに憧れられるような華々しい存在ではなく、現実を無理やりにでも自分の理想に従えさせないと気が済まないという性質であるらしく、そのために虚言癖があると言ってもよいくらいの見栄っ張りで、周囲の者たちから疎まれ、避けられている様子だ。ピンキーによるミリーへのあまりに強い憧れと、しかし実際にはかわいそうなくらいに周囲から軽く扱われるミリーの描写とのギャップが、映画のはじめから軽いノイズのような不穏さ(痛さ)としてあり、その歪みが次第におおきくなっていく。
元ルームメイトだった女友達がボーイフレンドを連れて部屋に遊びに来るというので、ミリーは張り切ってホームパーティの準備をする(張り切っている割には料理は粗雑なのだが)。その気合の入れように対し、準備を手伝うピンキーがあまりにドンくさいので、ミリーは苛立っている。そしてミリーは、いつものようにドタキャンされる(デートも平気でドタキャンされるなど、ミリーは本当に軽く扱われている)。ミリーはキレてピンキーに当り散らして気晴らしだと外へ出る。そして夜になって、アパートのオーナー夫婦の夫を部屋に連れ込む。それはよくないことだと言うピンキーを、ミリーは罵倒して部屋から追い出す。ショックを受けたピンキーは、アパートの二階から、中庭のプールへと飛び込み、意識不明になる。
三人目の女は、二人の住むアパートや二人のよく行く酒場を経営する夫婦の妻(ミリーが部屋に連れ込んだ男の妻)ウィリーで、彼女は無口でほとんど喋らず、性器がむき出しの爬虫類人間のような不気味な壁画を自分たちが所有する土地のあちこちに描いている。彼女は妊娠していてお腹がかなり大きい。プールに飛び込んだピンキーを発見して助けたのはウィリーだ(妊娠しているのに夜中に冷たいプールへ入る)。
罪の意識を感じたミリーはピンキーに対して従順になり、意識を取り戻したピンキーは記憶を一部失っていて、かつての呼び名である「ピンキー」と呼ばれることを嫌い、自分が憧れていた虚像としての「ミリー」であるかのように振る舞うようになる。オーナー夫婦の夫を部屋に連れ込むようになるし、ミリーが書いていた(そして自分が盗み読みしていた)日記のつづきを、まるで自分の日記のように書くようにもなる。つまりここで二人の関係が逆転する。ミリーは、手を尽くしてピンキーの両親を探し出してピンキーの意識が戻るまでアパートに滞在させるが、ピンキーはそんな年寄りたちは知らないと拒絶する(ピンキーの両親の描写の異様さはリンチ的だ)。ミリーは一生懸命にピンキーが復職できるように職場に働きかけるが、かわいそうなくらい相手にされないし、その間にもピンキーは男を部屋に連れ込んでいる。
ピンキーは、自らの抑圧された欲望をミリーを鏡としてそこに映し出していたが、ミリーからの拒絶されることで、その像を自分という場に折り返して投影する(自ら「虚像としてのミリー」になる)。そしてミリーは、自分という場に投影しようとしていた理想像(虚像)をピンキーに譲り渡したかのように虚勢を張ることをやめ、ひたすらピンキーに尽くすシモベのようになる。しかしこれはたんに主従の入れ替えでしかなく、二者の関係は根本的に変わっていない。ここで効いてくるのが三人目の女であるウィリーだ。
ある夜、オーナーの男(夫)が二人の寝ている部屋に合い鍵を使って忍び込んでくる。驚き、男を罵倒するミリーに、男は「妻が出産しようとしている、自分は彼女には不要な人間だ」というようなことを言う。ミリーとピンキーの二人は車でオーナー宅のウィリーのもとへ駆けつける。子供は今にも生まれそうだ。ミリーはピンキーに急いで医者を呼んでくるように言い、自分はウィリーについて世話をする。しかしピンキーは離れた場所からその様を見ていて医者を呼びに行かない。ミリーがウィリーについてなんとか出産を果たすが、子供は冷たく、生きてはいない。ピンキーもこの様子をしっかりと見ている。この死産という出来事が三人の関係を変える。
おそらく男(夫)は、三人の女によって始末された。そして、ミリーとピンキーの関係はまるで母と娘のようなものになり、二人で酒場の経営を引き継ぐ。ピンキーはまるで子供のように振る舞い、オシャレだったミリーは野良着姿になる。ウィリーは、その死産という出来事によって、ミリーとピンキーの「母娘関係」を産みだした第三項のような存在として、二人と同居する。つまり、死産は、子供だけでなく子を出産する者としての母をも殺し(幽霊化し)、それによって空席となった母と子という二つの位置に、ミリーとピンキーが代入されたと言える。ウィリーは「死産する」ことによって母と子という二つの空欄をつくったと言え、「母の母(=祖母)」ではなく、「ミリーとピンキーの母子関係」そのものを出産した「母子関係の母」という位置についたのだと言える。
一方に、鏡像的、想像的な、二項的主従関係があり、もう一方に、関係の破綻しかけた夫婦という二項関係がある。夫婦は、出産によって父-母-子という三項関係になるはずだったが、そもそも夫婦の関係は破綻しており、かつ、ミリーとピンキーの関係も不安定だったこともあり、死産という出来事を媒介として、(男性=性的なものは排除され)「母」と「娘」と「母-娘関係の母」という三項関係へと変質したところで、この映画は終わる。