●タブローで、今までつくったことのないくらいの小さいサイズの作品をつくろうと思って、画材屋に行って、いろいろ買い物をする。少し前に、ゆーじん画廊で観た岡崎乾二郎展で面白かったのはなんといっても小品で(それも、特にそのなかの一点で)、それはぼくが今まで思っていた「小さいサイズの絵画」に関する認識を(それだけではなく、「フレーム」に関する認識をも)改めさせられ、揺さぶられるようなものだった。その刺激と、23日の日記に書いた、駅前のスーパーの裏の畑に生えているヒマワリを見た時の感覚(こんな感じhttp://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/himawari.html)とが、ぼくのなかで少しずつ繋がりつつあって、ぼくにも、ぼくなりの小品をつくることが出来そうな予感が芽生えてきていて、で、ぼくとしてははじめて、「サイズが小さい」ことに積極的な意味があるようなタブローをつくろうと思ったのだ。そのためには、今までの制作の時とは別の、空間やフレームの感覚に対する回路を作らなくてはならないだろう。勿論、ぼく自身の身体が持っている空間の感覚がそんなに急激にかわるはずはなく、そうではなくて、ぼくの感覚を絵画作品へと変換させてゆく回路というか、その変換装置(変換過程)を動かしてゆく、ということで、つまり「小品」をつくろうと思ったということは、その回路が開かれそうな予感が生まれつつある、ということなのだ。(これは、ある時点までは頭のなかで煮詰められ、育てられて、ある一定の強さにまで育ったら、その先は、制作するという具体的な行為を通して掴まれるしかない。)
とはいえ、作品をつくる前は、ものすごく沢山のことを考え、沢山のことを試してみるわけで、そのうちのどれが、結果として完成した作品へと繋がるのかは、実際に作品が完成してみなければ分らないことで、本当に小品のシリーズが生まれるのかどうかは、今のところ何とも言えないのだけど。実際、ちょっと前までは、油絵の具を使って筆で描く作品を久しぶりに制作しようかと思っていたのだけど(小品のシリーズは今まで通りカラージェッソで描こうと今のところは考えている)、それは、実際に制作に手をつける程までには、具体的なイメージへとは育たなかったのだった。イメージが触覚的なところまで具体化しなかった、と言うか。