インドのヒンズー教の彫刻(松岡美術館)

●白金台にある松岡美術館に「花鳥画への誘い」という日本の江戸絵画中心の展覧会を観に行った。で、それはあまり大したことはなかったのだけど、常設されているインドのヒンズー教彫刻がとても素晴らしかった。松岡美術館には、古代のガンダーラや中国の仏教彫刻もコレクションされているのだけど、そういうものは、国立博物館などでも観たことがあったけれど、インドのヒンズー教の彫刻を観たのははじめてだった。ヒンズー教の彫刻が隆盛したのは古代というより中世の頃らしく、展示されている作品も10世紀以降のものだった。仏教彫刻のような抑制がなく、あからさまに淫らで、動きも大きく、ゴテゴテ、ドロドロ、エロエロ、という感じなのだが、そのゴテゴテ感が「重さ」につながらず、ゆらゆらと揺れる波動のようなものとなって伝わってくる感じなのだ。
(ただ、少し前に国立博物館で観た日本の仏教彫刻も、ものによっては相当に「淫ら」な感じで、足から腰、腰から肩、そして肩から腕へと、重心を左右に降って、ゆらゆらと揺れるように立っているポーズは、「抑え気味」ではあっても、ヒンズー教彫刻のモロに淫らな神々のポーズと基本的には異なっているわけではないと思う。一見、静かに立っているように見えるけど、実際に人間がこのようなポーズで立ったら、関節は外れ、筋肉は断裂してしまうだろうというような、無理ななまめかしいポーズをとっていた。そのような無理に緊張した張りつめた感じと、一方で、まったく重力に逆らわないような、力の抜けたリラックスした感じとが、同居しているのが面白いのだった。実際、このような淫らな像が、禁欲的な生活をしている場にあったら、修行僧はどんなに「悩まし」かったことだろうかと思う。仏像には、自分は煩悩から解放されているようでありながら、人間に対しては煩悩を刺激しているような感じがあるのだった。)
松岡美術館のヒンズー彫刻で特に素晴らしかったのが、「音楽の神シヴァ」と名付けられていた、台座もふくめて高さが70センチくらいのブロンズで鋳造された単体の像だった。(11世紀頃の南インドでつくられたものらしい。)ぼくはこの像の前で立ち止まって、そのまましばらく動けなくなってしまった。(その周辺をちょこちょこと動きながら、結局閉館近くまでその辺りにいた。)他の像に比べると動きがややおとなしいのだけど、全身を通してゆったりと揺れるようなこの動きをじっと観ていると、こちらの身体や頭のなかまでがゆらゆらとしてくるようで、ふーっと気が遠くなってしまいそうになるのだった。このシヴァの像は、前後に二組、四本の腕を持ち、前の二本の腕で楽器を奏でるような仕草をしていて、その自ら奏でる音楽で踊っているように、腰をくねらせている。(後ろの二本の腕は、何か象徴物を天に掲げているような仕草をしている。)足先から腰、肩へと(そして頭へと)流れるゆったりとした揺れに、肩から二本ずつ出ている腕のズレによってふわっと揺らぎが起こり、その揺らぎは観る者の頭をくらっと痺れさせ、胸のあたりをゾワゾワさせるのだが、その伸びる腕の先にある掌と指先の、何とも繊細で緊張した表情によって、揺れがそこへとシュッと集中して収斂し、一瞬静謐なもののなかに留まり、そこからその揺れが像の外へ、世界へと放たれているかのようなのだ。(と同時に、その指先から、世界のなかの波動を吸収しているようでもある。)正面から観ると上半身は軽く逆三角形で、胴体は肉が削がれて細く、ウエストもくびれていて、そのシルエットは少女か少年のようであるのだけど、横からみると身体の幅がたっぷりとあり、淫らな肉付きと言っていいような全く異なる表情をみせる。男でもあり女でもあり、若いようでもあり成熟している(し過ぎている)ようでもあり、大きく揺らいでいるようでもありピタッと静止しているようでもあり、様々な矛盾した要素がこの一体の像のなかで重ね合わされていて、それが全体を貫くゆったりと揺れるリズムのなかで配置され、しかもそのリズムにこちらが同調しようとすると、どこかでそのリズムがブレるようにふっと乱れ、頭の奥がジーンと痺れて、像の姿を捉え損なう。観れば観る程素晴らしく、面白い像なのだった。
●今日の天気(06/11/05)http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/tenki1105.html