フィレンツェでは、いくつかの美術館でセキュリティチェックが厳しくなっていて、ウッフィツィ美術館とかアカデミア美術館館などの大規模なところでは、空港とまったく同じ手荷物検査と金属探知機でのチェックがあり(ポケットに入れっぱなしになっていた小銭にも反応する)、これも空港と同じで、ミネラルウォーターのペットポトルなどの液体物をもって入場することができない。しかしそのわりには、中の監視員はけっこういい加減で、客の様子などろくに見てはいない。フィレンツェの監視員はだいたい、(1)新聞をのんびり眺めている(2)本を熱心に読んでいる(3)同僚とお喋りしている、の、どれかで、どこの監視員だったかは忘れたけど、その部屋全体が自分の研究室だとでもいう感じで、分厚い難しそうな専門書っぽい本を、ノートをとりながら集中して読み込んでいた中年の女性がいた。一番驚いたのがサン・ロレンツォ教会の、ブルネレスキが設計した旧聖具室にいた監視員で(太っていて、無精髭をはやしているような、貧乏そうなおっさんだった)、朗々とした調子で本を朗読していた。ぼくが足を踏み入れた時にはちょうど他に誰もいなかったので、監視員はここは自分一人のための部屋だという感じで占領していて、とても音の響きのうつくしい聖具室で声を出して、自らの声の調子に酔いしれていたのだろう。実際ぼくも、そのイタリア語のうつくしい調子にしばらく聞き惚れていた。何を言っているのかはまったく分らないので、もしかするとエロ小説とかを読んでいたのかもしれないけど。捨て子養育院美術館では、入り口を入っても誰もいなくて、チケットはどこで買うのかと思っていたら、奥の展示室から青白くて不健康そうな、いかにも下流インテリっぽい青年がヌーッと現れた。入場料は4ユーロのはずなのに5ユーロ札を出してもおつりをよこさず、あっちへ行け、みたいな仕草をする。ぼくが言うのもなんだけど、相当貧乏そうな感じなので、1ユーロくらいぼったくられてもいいかと思って展示をみていると、青年はいなくなって、しばらくしてから再び現れ、ぼくの方に近寄ってきて1ユーロを渡された。捨て子養育院美術館は、入り口も分りにくいし、相当すたれた感じで、あまり人がこないような様子だったので、おつりが用意されてなかったのかも知れない。監視員の青年としては、こっちは勉強してるのに、なんでつりを必要とする面倒な客なんかくるんだよ、という感じだったのかもしれない。(比較的ちゃんと仕事をしてるっぽいのがアカデミア美術館の監視員で、客がミケランジェロの彫刻にカメラを向けていたりすると、ちゃんと注意していた。他のところはだいたい、入り口で「ノー、フォト、ノー、ビデオ」と言われるたげで、客が写真を撮っていたとしても見てもいない。教会を無理矢理に美術館と言って入場料を取っているようはところは特に。でも、たまたま見つけたりすると、すごい勢いで怒鳴ったりする。)このいい加減な感じが、なにかとてもうらやましい感じで、半ば本気で、フィレンツェで監視員をして暮らせないだろうか、と思った。こういう仕事は、外国人にはまわってこないのだろうけど。
●前にも書いたけど、ブランカッチ礼拝堂のあるサンタ・カルミネ教会は、入場には予約が必要で、しかも十五分しか中に留まれない。でも、これも状況や係の職員の気分次第というところがあるらしくて、たまたま客が少なかったり、職員の気分が良かったりすると、予約なしで入れてくれることもあるらしい。ぼくが行った時は、客が少なかったせいか、十五分のところ三十分くらいは居させてくれた。ただこれは逆の場合もありで、状況や気分次第では、全く理不尽に意地悪な対応をされることもあるらしい。教会や美術館の開館時間も、なんの予告もなくいきなり変更になることもしょっちゅうらしくて、ミケランジェロが設計した聖具室をみるためにメディチ家礼拝堂(これはサン・ロレンツォ教会の一部なのだが、教会とは別の入り口をつくって、二重に入場料をとるのだった)に行った時も、その日の朝の労働争議みたいな会議で開館時間が急に短くなっていて(しかもそのインフォメーションは入り口に小さなコピー用紙が貼ってあるだけなのだ)、一度目に行った時は入ることが出来なかった(後日、改めて行った)。一番残念だったのは、ブルネレスキの代表作とされるサント・スビリト教会が(これもまた急に)改装工事にはいってしまって、なにか入ることが出来ず、あの妙な形のファザードの前で立ち尽くすしかなかったことだ。万事がこういう調子で、ガイドブックとかはあまりあてにならず、とにかくその場に行ってみなければどうなるか分らないのだった。(ウッフィツィ美術館では、理由は分らないけど、いきなりある部屋の入り口にロープが張られて、その部屋だけ入場禁止になったりした。しばらく他をぶらぶらして戻って来ると、また入れるようになっていたりした。)
こういういい加減さ(というのか理不尽さというのか)はいろんなところにあって、滞在中の食事は、ホテルの近くのスーパーで買って部屋で食べたりしていたのだけど、スーパーのレジでも、長い列が出来ているのに、レジ係が平気でずっと同僚とお喋りしていたり、時には、仕事上がりの同僚の買い物の会計を列を無視して先にしたりする。自分の仕事はテキパキとこなしているとはとてもいえないものなのに、こちらが様子が分からず少しもたもたしていると、何だこの訳の分かってない東洋人は、みたいな感じて客なのにガンガン怒鳴られる。(何言ってるのか分らないけど。)しかしこれも逆もあって、気分と状況によるみたいで、時にはとても愛想よく片言の日本語で話しかけられたり、これは内緒だけどみたいにして、過剰にサービスしてくれることもあった。それが過剰すぎて喜んでいいのかわからない感じだったりするのだけど。(一般に、「働いてる奴」と「遊んでる奴(客)」とでは「働いてる奴」の方が大変なのだから、客は「働いてる奴」の方の都合や気分にあわせろ、みたいな感じだ。)こういう緩さ、いい加減さは、実際に住んでみればいろいろと不都合や不快な事も多いのかも知れないけど、無責任な短期の観光客としては、大方、とても好ましいもの、うらやましいものに思えたのだった。(一度、露天商のちょっとチャラい感じのお兄ちゃんからいきなり抱きつかれた時には、一体何が起こったのか分らなかったので、マジで一瞬びびった。別に何か盗られたわけではないし、お兄ちゃんはヘラヘラ笑って肩を叩いてきたので、「ぼけっとした観光客」がからかわれた、ということなのだろう。)