●新しいメモリーカードを買って散歩に出て、デジカメの動画モードで撮影してみる。三千円弱くらいの2GBのカードで、動画だけだとだいたい一時間半くらい撮影できるみたいだ。ビデオカメラを持っていないので、動画が撮影できるのはこれだけ。携帯のカメラはずっと壊れていて、ピントがまったく合わない。いままで、デジカメのモニター上でしか再生できなかったのを、なんとかしてぼくの持っている古いパソコンでも再生できるようにした。とはいえ、編集などは簡単なものでもまったく出来ないのだが(ソフトを入れてもちゃんと作動しないだろう)。ただ撮って、それを観るだけ。画質的には、小型のノートパソコンのモニター上で観るのも、ちょっときついという感じだ。動きもぎこちない。
でもなんか、この感じがいい気がする。ビデオカメラとか持って、「撮影するぞ」という感じになってしまうと違う気がするし、画質がちゃんとしていたりすると、ちゃんと撮影しなきゃ、技術的にもしっかりやらなくちゃ、となってしまって、それだと、あくまで「散歩」がメインで、その時に目についたものをちょっと撮ってみる、という感じから離れて、撮影のために散歩する、ということになってしまう。
何年も前に、一万円ちょっとで買えた超チープな8ミリビデオカメラを散歩り時に持ち歩いて、テープが続く限り、二時間くらいまわしっぱなしにしていたことがあるのだが、そういう、ずっとだらだらつづく映像ではなく、しかし、一瞬だけを切り取る静止画でもなく、ほんの三、四十秒くらいだけ持続する映像。それが妙に新鮮に感じられる。中学生の時に、親にはじめて8ミリカメラを買ってもらった時のような感じ。8ミリだと、フィルム代と現像代とで、三分ちょっとの映像を撮影するのに二千円くらいかかったのだが。
気持ちよく晴れた日曜日で、散歩自体もとてもいい感じに出来て、昨日と今日で、いくつか面白いカットも撮れた。撮っていて、ほんの三、四十秒の持続でも、空間と運動(複数の空間、複数の運動の交錯)は十分捉えられる、というか、三、四十秒しかつづかないからこそ、「それ」だけを捉えることが出来るのではないかという手応えがあった。こうなってくると、いくつかの面白いカットをつなげて観てみたいし、人にも観てもらいたいという気持ちにもなってくる。とはいえ、一つ一つのカットはそれ自体、断片として完結しているのだから、まとめるにしても、不必要な部分をカットして、黒画面によってブランクを挟みながら、ただいくつか並べる、という以上の加工はすべきではないと思うけど。その程度の簡単な編集をする環境すらないわけだ。ネットカフェのパソコンに、動画を編集するソフトとか入っているだろうか。
勿論これは、作品と呼べるようなものではないが、今後作品へと発展するかもしれない何かではあるかもしれない。それは映像という形をとるものなのか、それとも、それが今後制作する絵画作品に何かしらの刺激を与えてくれるということなのか、それすらも分からないけど。いや、ただ、ちょっと今までしてなかったようなことをして興奮しているだけかもしれないけど。しかし、そうであるかもしれないし、そうではないかもしれない不確定な「何か」が手元にある時こそが、作家として最もわくわくする時なのだった。その多くが、後から考えると、「やっぱ、あれ勘違いだったかも」というようなものであったとしても。