●『カイエ・ソバージュ2 熊から王へ』(中沢新一)を読み始めた(五章まで読んだ)。『人類最古の哲学』は、どう読んだらいいのか上手く掴めない感じだったけど、これはすごく面白い。「神話」ということで何が言いたいのかがだいぶ掴めてきた。『魂と体、脳』とも繋がる感じ。『魂と体、脳』は、中枢や貨幣が出現してしまうシステム論的な必然がシミュレーションによって描かれていたとも言える(それはこの本の一面的な読み方にすぎない)けど、『熊から王へ』で主張されている「神話の思考(対称性の思考)」とはつまり、王や国家(あるいは一神教?)という強い中枢を出現させないためのシステム論的な知恵(プログラム)のことだと読むことも出来る。そこにあるのは、交換モデルと贈与(往還)モデルの違いだという風にも読める。
中沢新一を何冊か読んで思うのは、この人ほどカルトから遠い人も珍しいのではないかという感じだ。対称性の思考とはつまり、自然と人間とのバランスを崩さないための(中枢や技術や欲望の、強さや無制限さ、一方向性を抑制するための)知恵であり、神話はその媒介で、つまり、基本的に、システムのバランスを調整する媒介やネゴシエーションの話が中心となる。それはほとんど常に、強い中心性(求心性)をどう抑制するかという話になる。『人類最古の哲学』では、神話が宗教と対立的に配置されていた。中沢新一において、神話は信仰に関わるものというより「知恵」という位置にある。
●『人類最古の哲学』を読んだ時にもちらっと思って、『熊から王へ』を読んでその思いが強くなったのだけど、幾原邦彦は、「ピングドラム」をつくる前に「カイエ・ソバージュ」シリーズを読んでいるのではないだろうか。『熊から王へ』は宮澤賢治からはじまるし(引用される「氷河鼠の毛皮」は「銀河鉄道の夜」以上に「鉄道」や「北方」のイメージが鮮やかだ、「ピングドラム」では「北方」は反転して南極になっているけど)、熊やカエルやシャチは「ピングドラム」でも重要なモチーフになっている(カエルは、苹果の変化・成長の媒介として欠かせないし、熊は、血のつながらない兄妹を結ぶ絆であると同時に世界を滅ぼす力=爆弾でもある)。それに、四章に出てくる「技術」の出現についての神話からは強く「ピングドラム」に近い雰囲気を感じた。