●日暮里に「組立」を観に行って、永瀬さんと長時間話し込んでしまった。話すことで、最近考えていた雑多なことにすこし繋がりがみえてきた。
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●展示(二階の)で面白かったのは、床置きの永瀬さんの作品と、普通の高さに展示している他の二人の作品とで、空間が二重化されているみたいな感じに見えたこと。二つの空間が重ねあわされているというか、重ね描きされているような、重なりつつズレているような感じ。なんというのか、同居しているわけでも別居しているわけでもなく、二世帯同居だけど玄関とキッチンは別、みたいな(それは違うか)。複数の人が同じ部屋を全然違った使い方で共有しているという感じ。
この二重化の感じは永瀬さんの作品そのものにも言えて、おそらく、白い作品と赤い作品とでは、絵のつくり方ややっている感じはほぼ同じで、色だけが違うのだと思うのだけど、白と赤は、ありがちなコントラストとなっていなくて、白い作品を観る時と、赤い作品を観る時は、ちょっと観るモードをかえなくちゃいけない感じで、赤い作品を観ている時に感じている展示空間の感覚と、白い作品を観ている時に感じている展示空間の感覚が違ってくる。単色に近い微妙な色の振幅で出来ている画面で、二種類の色のものを並べると、しばしばものすごく安易なコントラストの効果が出来てしまうのだけど(そうなると微妙な振幅が台無しになってコントラストの効果のための小手先芸みたいになってしまう)、赤い作品を観る時の、色が向こうからこちらへと攻めてくる感じと、白い作品を観る時の、視線が吸い込まれてゆくような感じとが異なっているので、赤を観る行為と白を観る行為が別の行為となって切り離され、赤と白がコントラストに見えない。有原さん高木さんの作品と永瀬さんの作品によって空間が二重化され、さらに、永瀬さんの赤い作品と白い作品とで、また別の感じで二重化されている。
でもそれっておそらく狙ってやっているわけではない感じだと思う。だとしてもそれは、一方でとてもオーソドックスに絵画であろうとして、しかしもう一方で、フレームの横への長さや、作品を床に置くことなどで、パネルやキャンバスの構造を感じさせることで絵画から遠ざかろうとする感じとの、二つの異なる方向へ引き裂かれるようにしてある永瀬さんの作品のあり様とも関係しているんじゃないかと思った。