●勘弁してくれと言いたいくらいに暑かった日の、まだその余韻は残っているけど昼間ほどではなくなった夕方はすごくいい。窓を開けて風を通して少しうとうと眠るのも、外をぶらっと歩くのも。からだの芯に疲労を残しながら肌の表面には心地よく風が当たって、風景も昼間の暑さに疲れたのか、おだやかな感じになっているように見える。
●紋切り型を一番避けなくちゃいけない時とは、人の悪口を言う時なのだなということを、紋切り型の批判をみるといつも思う。悪口の時に人はけっこう無防備に弱点をみせるというか、悪口の言い方や内容でだいたいお里が知れてしまうというか。
●ちょっと気になる、「本人も知らないパスワードで認証する方法」についての記事。
http://news.livedoor.com/article/detail/7822890/
あまり詳しくは書かれていないけど、ゲームのようなことをやらされて、それを通じてある反応パターンを学習させられる(そのパターンがパスワードとなる)のだけど、それがどのようなパターンであるのかを、学習した人は(その意識は)知らない、というものだと読んでいいのだろうか。無意識のうちにパスワードが埋め込まれる。非言語的というか、行為遂行形のパスワード。
パスワードを使う人が、意識としてはパスワードを知らない。だから、たとえその人が誘拐され、拷問を受けたとしても、パスワードがばれることはない、親切そうに近づいて来て騙そうとする人につい漏らしてしまうこともない、と。自転車に乗れる人に、なぜ乗れるのですかと聞いても答えようがない。出来る人は、「何によって」それが出来ているのかを知らない。技能は口頭では伝えられないし、簡単にスキャンできない。だから漏れにくい。そう考えると新しいような感じはする。
「言い方」の問題もあって、パスワードを(非意識的な)技能として習得すると考えれば、それほど抵抗はないように思うけど、パスワードが無意識に埋め込まれると言うと、無意識(という深く内密的なところ)を管理・操作されているようでいい感じはしない、ということになる。
管理者は「あなたは(パスワードによって)<それ>を使うことは許されるけど、<それ>を使う権利を他人に譲渡したり、他人とシェアしたりを、あなたの判断で勝手にする権利は認められていません」という形で<それ>の使用を管理できる。使用者の主体的行動を制限できる。あるいは、使用者の主体性とは無関係に「使用の範囲」を制限できるので、主体性(その人の判断力が信用できるかどうか)を問わなくてもよくなる。
いや、でもそれってどの程度意味があるのだろうか。たとえば、同じような知識や技術をもった人たちがいて、パスワードをもつ人を誘拐してきて(あるいは、ある偽のシチュエーションを設定して)、似たようなゲームをやらせて、その結果を解析すれば、パスワードはばれてしまうということはないのだろうか。あるいは、このやり方が、指紋や虹彩を使った生体認証に比べて実用的に(使い勝手の点で)何か特別に優れているところはあるのだろうか。
たぶんこの話は今のところは、実用的というのとは違うところで(自分が使っているパスワードを自分は知らない)興味深いと言うところに留まっているのだろう。