●散歩しながら考えた。人の生というのはつまりは、様々な風景を見て、様々な音を聴き、様々な物に触れるということ(その知覚―感覚―情動)の集積なのだから、画家としての自分がすべきことは、ただひたすら「物を描く」ことなのではないか。あるいは、この日記にしても、下らない文章など書かず、その日に撮った写真だけをひたすらアップするという方がいいのではないか。それでいいのではないか。
とはいえこれは、散歩中の高揚のなか(風景と光の圧倒的な現前のなか)での考えで、自分が、そっちの方向にシンプルに徹底して行くことなど決して出来ない中途半端な(そして面倒くさくひねくれた)奴なのだということを、嫌というほど自分は知っている。なのできっと、今後もずっとどっちつかずの中途半端な感じでやってゆくのだろうと思う。中途半端な奴としてやっていくしかないだろう。
(こんなことを考えるのは、今年は、井上実「空地の端」と高谷史郎「Toposcan」の強さに打ちのめされたからでもあるのだが。)
今日は気持ち悪いくらいに暖かくて、吹きっ晒しの川沿いを歩いていてもちっとも寒くなくて、マフラーを巻いて覚悟して出かけたので拍子抜けという感じだった。昨日は南―下流―の方へ向かったけど、今日は北―上流―の方へ向かった。
今年はあまり歩かなかった。もっとよく歩くようにしたい。