●池袋ジュンク堂の『魂のレイヤー』刊行記念イベントで、西川アサキさんとトーク。
トークでむつかしいのは、滑り出しと、話が停滞してきた時に、どの方向へ話を飛ばしてゆくのか、という二点だと最近気づいた。滑り出しがぎこちないのはある程度は仕方ないとして、いったん話がうまく流れ出せば、その流れにのっていけばいい。わざわざ二人で話すということは、その話がどっちに向かうのかをあらかじめ決めておかない、どっちに行くのか分からないというところに意味があるのだから。西川さんは興がのるとすごくしゃべる人だし、暴走気味くらいになって本領を発揮する感じだし。
ただ、その流れはいつまでもつづくわけではなく、ある話は、それ以上しても堂々巡りになるだけという行き止まりに達する。そうなると、ほとんど意味のないパスをまわしているみたいになって、ああ、ちょっと停滞してきたなあと思うのだけど、その時に、話を転換して別の方向にもってゆく、その適切な「行き先」を咄嗟に見つけるのは、人前で喋り慣れているわけではない者としてはけっこう難しい。本はがっつり読んで行ったつもりだとしても、「その場」で適切な何かを思いつけるかどうかはまた別のことだから。しかもこれを、相手が話していることを聞いたり、自分が話したりしながら、見つけないといけない。
二人で話すということの意味は、段取りが決まっていないということだし、話の流れや展開を誰かがコントロールしているわけではないということで、その場合、その転換点と、その時に話を飛ばして行く先のスペースの選択が、話の流れが退屈なものになってしまうか、ならないかの分かれ目になるのではないか、と、そのようなことを意識しながら話しました。
反省点としては、本(と、「現代思想」に掲載された一番新しいテキスト)の内容に関する話題に限定しすぎて、ちょっと、難しいというか、硬い話に偏り過ぎたかもしれないということ。勿論、ある程度はハードな話は必須としても、どこかでもう少し、普段、西川さんと話しているようなくだけた感じになった方が、西川さんの破壊力がより発揮されたのかもしれない。あと、内容的に言えば、「二人称」の問題をもっと突っ込んで聞いた方がよかったかもしれないということと、「小説」の話をもう少ししたかったかなあということもあった。
事前の打ち合わせで、「ガンダムUC」の話は封印しようということだったのだけど、最後の質疑応答との絡みで「UC」の話ができたのはよかった。打ち上げの席でも、お姫様のいない「ガンダムUC」は可能なのか、という話になった。
●客席の方をちゃんと見ている余裕はなかったのだけど(目も悪いし)、だいたい、男性率九割強という感じだったと思う。しかも、一割弱の女性のうち、一人は青土社の編集者だし、もう一人は西川さんの奥さんなのだった……。
●トークは、録画、録音されていましたが、西川さんがそういうのを割と嫌うので、公開はされないと思います。ぼくはもったいないとも思うのですが……。西川さんは、特定の誰かが前に立って一方的に話すという形式自体に対して懐疑的なところがあって、もし、お客さんが十五人くらいしかいなかったら、テーブルを囲んで座談会と言うか、飲み会方式みたいにして話しましょう、とかいう話もしていた。