●「ユリイカ」の西川アサキのテキストで参照されている「時計としての時間、または過去・現在・未来の起源」(郡司ペギオ幸夫)が掲載されている「現代思想」99年4月号が届いたので、パラパラみてみると、前半はともかく、後半はがっつりカテゴリー論(圏論)による展開で、どうにも歯が立ちそうにない。
(西川さんも、「これは郡司さんの書いたもののなかでも最も難しいものの一つで、でも、それを避けて通るわけにはいかなかった」と言っていた。)
タイトルからして、後に『時間の正体』に発展してゆくものの原型のような感じなのだろうか。『時間の正体』でも、「射」とか、カテゴリー論的な操作概念が出てくるところで、どうしても(何度読んでも)分からなくなってしまう。
とはいえ、そこにはとても重要なことが書かれているように思えて仕方がない。要するにすごく「それを知りたい」のだけど、そのためにはカテゴリー論を勉強するしかないのだろうか。だが、高校の数学さえ途中で放棄しているのに、今からそんなこと可能なのだろうか。