クローズアップ現代で、「ゲノム編集」の話をやっていた。数日前に、チョムスキーやホーキングらが、あと数年で自律型兵器(AIが自分で判断して人を殺す)が技術的に可能になってしまうので、その開発を禁止するように求める公開状を提出したというニュースを目にした。ものすごい速さでシンギュラリティが近づいている恐ろしい感じ。
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3694.html
http://www.gizmodo.jp/2015/07/post_17817.html
科学技術の進歩と倫理(あるいは、常識)とが最も高い緊張と摩擦をもたらす分野は、おそらくまずは軍事と医療ではないか。しかしそれに留まらず、生命、道徳、アイデンティティ、尊厳といった人間存在に関する根源的な価値観にまで、テクノロジーはぐいぐいねじ込んでくる。
(「ゲノム編集」によって救われる難病患者がいる、ということと、自律型兵器によって戦場に行かなくても済む兵士がいる、ということは、どの程度違うのか。それと、ゲノム編集や自律型兵器によって「なしくずしになる何か」とを、どう天秤にかけることができるのか。)
人間の、人間に対する認識は、技術進歩によって破壊的な様相で変化すると思われる。そのなかで人類が、「多くの人がだいたい納得し得る常識(基準)」をつくりだせるとはあまり期待できない。おそらく、常識の形成よりもずっと速く状況が変化してしまうと思われるから。技術進歩それ自体が、新たな技術進歩のための条件(土台)となるので、技術進歩はどんどんはやくなる。
(専門家の未来予測は当たらない、なぜなら、専門家はその分野の「現在」に最適化しすぎていて、しかし、一つのブレイクスルーで、「現在」という条件が根底から変わってしまうこともあるから、という意見を聞いた。あるいはカーツワイルは、指数関数的な変化は、初期の段階や短い期間だけを捉えると、線形的な変化とあまり区別がつかない、しかし、違いに気付ける程度の違いが出た瞬間から、その違いは瞬く間に拡大する、というようなことを書いている。)
科学主義と反科学主義の間の軋轢や対立や緊張は、今後うなぎ上りに高まってゆくのではないかという恐怖がぼくにはある(反科学技術派には、テクノロジーの開発を抑制すべきだという意見から、もっと根本的な科学に対する因習的、宗教的な強い反感まで含まれる、あるいは、科学技術は必然的に資本と結びつくので、反資本主義派も含まれるか)。両者を調停し得る思想や理念(あるいは妥協点)などあり得るのだろうか。現在、もっともリアリティのある「戦争」のイメージは、国家の間に起こるものではなく、科学技術推進派と反科学技術派の間に起こるものではないか(技術が進歩すればするほど、国家間の戦争はしづらくなるのではないか、というか、常に諜報戦や兵器の開発競争のような前-戦争状態でありつづけるというか)。それは戦争というよりも、内戦やテロといった形になるのではないかと思われる。
これはバカげた妄想だろうか。でも、「ゲノム編集」などという言葉を、とても受け入れられない、耐え難い、と感じる人の数が、それを医療技術などの革命的な進歩だと前向きに考える人に比べて、問題にならないくらい少ないとは思えない。しかし、助かるかもしれない患者が死につつあるのに、研究を止めるなど考えられないとする人たちはどんどん進めるだろう。両者の緊張が破滅的な出来事に繋がらないようにするにはどうすればよいのか(おそらく、技術進歩による失業もどんどん増えてゆくだろうからなおさら)。
(これぼくの杞憂で、多くの人がある時点であっさりとテクノロジー派を受け入れるという相転移が起こるのかもしれないが。あるいは、もしかすると「常識的な落としどころ」という基準となる感覚が、あんがい人類に普遍のコモンセンスとしてあるのかもしれない、とか。)
●追記。クローズアップ現代の放送内容がまるごとアップされていました。
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3694_all.html