(ちょっと、昨日のつづき)
●実は、昨日の柴崎友香さんとのイベントで、柴崎さんが「六平直政」と言っていた時、ぼくの頭のなかに浮かんでいた顔は「大地康雄」だった。六平直政といえば、九十年代の黒沢清の映画(『復讐 運命の訪問者』)で大変に印象的な存在だったりして、ちゃんと知っているはずなのだが、なぜか、柴崎さんの口から「ムサカナオマサ」という音が発せられるのを隣で聞いているぼくの頭のなかでは、シニフィアン:ムサカナオマサ、シニフィエ:大地康雄だった。それで、殿山泰司とムサカナオマサ(=大地康雄)とではだいぶ違うんじゃないかと思い、しかし、違うからこそ類似を超えた代替が成立するのかもしれない、というところに感心していた。
その間違いに気づいたのは、トークが終わって「百年」から喫茶店へ移動している最中で、何かおかしいという違和感があり、あ、違ったと気づき、頭の中が修正され、ようやく「ムサカナオマサ」と「六平直政」が一致した。つまりトークの間じゅうはずっと「ムサカナオマサ」を「大地康雄」のことだと思って柴崎さんの話を聞いていた。間違いに気づいてみれば、確かに殿山泰司六平直政は似たところがある。ということは「類似を超えたところで成立する代替」ではなかったのか、と、ちょっとだけがっかりした。
歳をとると固有名が出てこなくなる、とよく言われる。実際ぼくも、人と話している時に人名や作品タイトルが出てこないことが頻繁にある。そして、固有名が出てこなくなることと、ある名前の音を聞いて(さすがに「字面」があると間違えないと思う)別人を思い浮かべてしまうということとは関係があるのだろうか。さらにそれは、「殿山泰司」を「六平直政」で代替することができてしまう、ということとも関係があるのだろうか。
●明日から、京橋にあるart space kimura ASK?で「井上実 展」がはじまる。
http://www2.kb2-unet.ocn.ne.jp/ask/2015/inoue_minoru.html
ぼくは自分の展示の撤収作業があるので初日には観に行けないのだけど、2013年にあった前の個展の作品から予測しても、そして本人から「この2年間のすべてを費やした大作群です」というメールがきていることからしても、おそらくとてつもない作品が出来ているのだろうと思う。観るのが楽しみというレベルではなく、観るのが怖い、出来れば観ないで済ませたい(自分が作品をつくれなくなるかもしれない)、と感じている。それくらいのレベルで、すごいのではないかと予測している。
下のリンクは、2013年の個展を観た時の感想。
http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20130727
●「百年」での作品展示は、明日26日の19時くらいまでやっています。19時くらいに撤収作業をはじめます。