●ある計算可能な、ちゃんと解の導ける式があるとする。その場合、式がたてられた瞬間に答えは決まっているといえる。1+1という式がたてられると同時に、(計算をするよりも前に)その解は2と定まっている。
ここで、もし、歴史上で誰もたてたことのない式がたてられたとしても、式がたてられた瞬間に解は決まっている。決まってはいるけど、実際に計算してみる前に、その解を知っている人はどこにもいない。すでに決定しているとしても、解は、計算する時間を要した後にしか開示されない。
この場合、解は、式と同時に「ある」と考えるのか、計算するという過程と時間を経ることで「生み出される」と考えるのか。
たとえば、計算するのに、宇宙が生まれてから消滅するまでの時間だけでは間に合わない場合も、その解は、式がある以上この宇宙のなかにすでにあると考えるのか、この宇宙にはその解は存在しないと考えるのか。
(ここで、式は無時間的であり、計算は時間的であるということを、式は論理的可能性=「ありうる」であり、計算することは実現可能性=「なりうる」である、という区別と対応して考えことができる。)
(この宇宙が神による一つの計算---シミュレーション---であるとすれば、この世界は単線的決定論的な世界であろう。しかし、その解、その計算過程=時間発展は、神ですら知らないと考えることもできる。神は、知らないからこそ計算---シミュレーション---しているのだ、と。)