Netflixの「世界の〝今〟をダイジェスト」という番組の「音楽」という回で、「拍をとれる」動物はとても珍しく、「音程を感じられる」動物は多いが限られている、そして、音階を感じられても「相対音感がある」動物はそのなかで限られる、と言われる(鳥は絶対音感しかなく、旋律は憶えられるが転調すると分からなくなる)。それら様々な個別の能力のすべてが備わって、はじめて人間が感じるような「音楽」として構成される、と。つまり「音楽」は人間に特有のものだ、ということになる。
さらに、たとえば長音階短音階などの音階から感じられるフィーリングは文化によって異なっている、と。音楽は、器質(そして気質)的な機能として、広く多くの機能に渡って横断的なものとしてあり、また、器質的なものから文化的なもの、個人的な嗜好まで、様々な多くの層を貫いて作用していることになる。
NHKの「サイエンスゼロ」で、音楽療法を扱っていた。そこで、音楽を聴いている時に出る脳波を測定して、その結果から、その人が心地よいと感じる音楽を自動生成(作曲する)するAIが紹介されていた。
(この時、被験者に五曲の異なる曲を聴いてもらい、その曲に反応する脳波を測定して、それをもとにAIが曲をつくるのだが、ここで被験者に聴いてもらう「五曲」が---番組で紹介された実験では---被験者ごとに異なっていたのだけど、この「五曲」の選曲がどのような根拠で行われているのかが説明されてなくて、もやもやした。)
この実験でAIがつくった曲に対して、被験者は概ね肯定的な(心地よいと感じる、という方向をもった)感想を述べている。そして、被験者それぞれに対してAIがつくった曲の感じは、被験者が普段好んで聴く音楽の傾向とはかなり食い違ったものになっていた。つまり、人が意識的に「好きだ」と思っている音楽と、「脳」が「心地よい」と感じる音楽とは違っているという結論に、一応は導かれる。「(わたしのこの)脳が心地よいと感じる」と「わたしが心地よいと感じる」とは食い違う。
しかしここで、「脳」が、という時の「脳」というのは何なのか(「脳」を完全に器質的なものと考えていいのか---脳波=脳なのか---それとも脳波は「無意識」の表現のようなものと考えるのか、など)。そして「心地いい」とはどういうこととして定義されているのか(ごく素朴に考えても、「リラックスする」というのと「わくわくする」というのとでは、かなり違うように思われる)分からない。そのあたりがもやっとしたままなので、興味深そうな実験を紹介しているのに、番組はけっきょくもやもやしたまま終わった感じになった。
(単純に、AIがつくった曲を聴いている時の被験者の脳波はどうなっているのか---被験者の主観的な感想=言葉だけでなく、「脳」の定量的な測定の結果はどうなっているのか---くらいは示してもらわないと、すべてが曖昧にもやっとしたままで終わってしまう。)
とはいえ、この「もやっとした」ところ(たとえば、「(脳として)心地よい」と、「(主観として)面白い」や「(主観として)うつくしい」は、どの程度重なって、どの程度食い違うのか)にこそ、重要な問題があるのだろうと思った。