2021-01-05

●他者や制度や権威を信じず、自分の目でみたもの(自分の頭で判断したもの)だけを信じるという人ほど、実はだまされやすいということが、最近の社会によって暴露されているようにもみえる。だが逆に、他者や制度や権威を信じすぎることもまた、別の問題(抑圧的な硬直化)を招くのでもあるが。

つまり、クリエイティブな人ほどだまされやすい、だまされやすい人でないとクリエイティブにはなれない、のかもしれない。ある意味で「積極的に間違いにいく」リスクをとらなければ、新しいものを生み出せないということはある(新しいものは、新しい文脈を生み出すのだから、既成の文脈や評価軸では可否を評価できない)。ただ、そのような性質が、状況や局面によって、吉と出たり、凶と出たりする。凶と出てしまっているときは、凶と出ていることを自ら認めて軌道修正しなければならないだろう(が、難しい)。

(前にも書いたが、なにごとも深く考えることのない、面白味のない---そして抑圧的な---常識人こそ、「陰謀論」に対して最も強いのではないかと思う。陰謀論は支持しないが、陰謀論者の方が人として魅力的ではあるのかもしれない。)

信じられるか信じられないかの二択、百かゼロかではなく、どの程度の蓋然性があると考えていいのか、という考え方をしないと、足元をすくわれる。とりあえずは今のところ、この答えが最も確実そうに思えるが、しかし、間違っている可能性も何割程度かはある、というように考え、だから、どの程度の割合でなら、この答えに自分の体重をかけても大丈夫だろうだろう、というように考える必要があるのではないか。この氷はどの程度の厚みなのかを探りながら氷上を歩くように。