2022/03/29

●『チンピラ』(青山真治)をU-NEXTで観た。これを観たのは二十数年ぶりだろう。青山真治は、95年に『教科書にないッ』というVシネマをつくって、次の96年には『Helpless』『チンピラ』『我が胸に凶器あり』と、三本も作品が公開される。そして97年には『WiLd LIFe』と『冷たい血』の二本。このあたりまで、ぼくは青山真治の作品に熱狂していたと言ってもいいと思う。ほぼ同じ時期に黒沢清も、いわゆるVシネマの作品を量産していて、この二人の新作をレンタルビデオ屋の店頭で発見して観ることが、当時のぼくには心の支えになっていた。

(『チンピラ』でのダンカンの使い方が、翌年の黒沢清の傑作『蜘蛛の瞳』のダンカンの役に影響を与えているのはあきらかだと思う。)

(『チンピラ』における北野武の影響はやはり大きいと感じる。90年代前半の北野武は、日本映画の「空気」をがらっと変えたと言っていいほど大きな影響があった。ぼくとしては、『キッズ・リターン』まではすべてすばらしいと思うとしても、『HANA-BI』以降は基本的に好きではないが。)

大沢たかおとダンカンのバディーもの。二人はクラブで働いていて、寺島進が上司だったが、大沢は寺島と揉めて仕事を辞めている。そして、大沢は寺島の彼女である片岡礼子になんとなく惹かれている。

ダンカンが歩いてくると、駐車場で寺島と片岡が揉めている。それを横目でみるようにしてダンカンはそのままは立ち去る。次にカメラは駐車場の反対側から揉める二人を捉えるカットに変わる。カメラが少し横移動すると、大沢たかおがいて隠れて二人を見ている。駐車場という広くて平坦な場所をまたいで反対側にカットが跳ぶことで、二つのカットの間にある空虚な広がりがぐっと立ち上がる。こういう書き方で伝わるとは思えないのだが、ぼくが初期の青山真治が好きだった最大の理由が、この空間感覚だった。広くて平坦で、やや荒んだ感触の空虚な空間を作中でポンとたちあげ、そこに人や自動車が出入りして、動きがつくられる。この感覚は、ぼくが知っている限りでは青山真治の初期作品でのみ感じられるものだ。

片岡は、寺島から送られた婚約指輪らしいものを投げ捨てる。寺島は立ち去ろうとする片岡を強引に車に乗せて、その車は去って行く。その後で大沢が指輪を拾う。

その次のカット。別の場所に二人の乗る車が現われ停車する。車を降りた寺島と片岡はさらに揉めている。寺島は先ほどに増して暴力的だ。そこに大沢が現われ、二人の様子を(ここでは二人が気づく距離で)見る。寺島は、お前には関係ないから立ち去れと言うが、大沢は、遠慮しないで続けろと言う。大沢はさっき拾った婚約指輪を寺島に返す。お前はなんなんだと寺島が激高し、寺島と大沢が争う。押したり引いたりの立ち回りの後で、大沢は寺島にナイフで刺される。寺島が車で去り、そこに大沢と片岡が残され、大沢は「俺が死んだら…」と弱音を吐くが、傷はそれほどのものではない。この場面で大沢と片岡の距離が縮まる。

これもまた、この書き方で通じるとは思えないが、この長回しのワンカットで撮られた場面が息を呑む緊張感なのだ。ここは、空間感覚というより、三人の俳優の演技の組み立てというか、場面の展開のさせ方、演技による「時間」の構築(つまり「演出」ということか)がすごい。おそらく、低予算で撮影期間も短いと思われるのだが、タイトなスケジュールでよくここまで練った場面をつくることがでるものだ、と思う。

この二つの場面を見ただけで、当時の青山真治がどれだけ絶好調でキレキレだったかがうかがえる。やはりすごかったんだなと、改めて思うのだった。