2025-02-05

⚫︎『翼ある闇』(麻耶雄嵩)、読んだ。今読んでも圧倒される。というか、今だからこそ、か。日記を検索すると、麻耶雄嵩を初めて読んだのは2011年の2月頃で、まず『夏と冬の奏鳴曲』を読んで衝撃を受けて、続けて集中的に何冊も読んだ時に『翼ある闇』も読んだはず。だけど、その時は、他の作品たちに比べると、(ある意味「普通の ? 」本格ミステリといえなくもないので)そこまでインパクを感じなかったように思う。

(出版されてからすでに30年以上経っている有名作なので、以下は、多少のネタバレは許されると思って書いています。)

途中までは普通で、最後がとんでもないのだが、その「とんでもなさ」のインパクトを、前に読んだ時よりも、今回はより強く感じた。あまり詳しく書くとネタバレになるが、合理的に解決されたかのようにみえる推理が、何度か否定されてひっくり返るという、オチが何段か用意されている構成。その末に、そもそもそんな解決アリなの ? 、という、良くも悪くもひどく突飛な解決が示される。この段階で、この「とんでもなさ」こそが麻耶雄嵩であるという独自の作家性が表れている。おそらく、三割くらいの人がびっくりしてファンになり、七割ぐらいの人が「そんな解決許されない」と怒ってしまう、とうような解決だ。

(ただし、出版された1991年には「とんでもなく驚く」ものであったとしても、特殊設定ミステリなども流行っている現在の読者には、そこまで強い拒否反応が出るものではないかもしれない。)

ただ、ここで終わりではなく、最後のエピローグでさらにもう一段ひっくり返す。この、最後のどんでん返しが、前段階の「トンデモ」とは違って、全く別の世界に飛んでいってしまうかのような突飛さなのだ。「物理的にあり得ない」トンデモから、「歴史的にあり得ない(偽史的)」トンデモにひっくり返る。

本格ミステリは基本的に形式的な遊戯で、社会的、歴史的、政治的な要素はとりあえずは括弧に入れてないものとするゲームだろう。特にこの作品は、そのようなマニアックな傾向が強い作風として展開する。そこへ、最後にいきなり「政治」と「歴史(といっても偽史だが)」をぶっ込んでくるという「ルールの破り方」をする。

この作品の面白さは、メタ、メタのメタ、メタのメタのメタ、というような、論理の根拠の無限後退という形の(後出しジャンケンみたいな)複数どんでん返しではないというところにある。ネタバレだが、最初に、常識的で説得力のある「意外な解決」があり、次に、説得力はまったくない、いい加減なツギハギだが、合理的に反論することができないという、超絶屁理屈みたいな解決があり、さらに、イメージとしてはすごく鮮やかで面白いが現実的には(天文学的な確率の低さで)あり得ないという解決があり、最後に、(当時の)リアルタイムの世界の政治状況と偽史を根拠にした解決がある(この作品はギリギリ「ソ連」がある時代、ソ連の最末期の時代に書かれている、まさにリアルな「時代」が刻印されている)、というように、異なる存立条件にある世界における、並行世界的な複数解決になっている。それこそが重要だ。

(論理を垂直に積み上げるというより、論理が水平に分裂する、という感触が強い。)

それでも一応は、最後に示される解決が最も包括的で合理的であるという形には、ちゃんとなってはいるが、この作品の面白さは合理性にあるのではないし、ジャンルの「お約束」を逆手にとってマニアックに遊ぶというところにあるのでもない。何かを信用できる(説得力がある)と感じられることと、信用できない(説得力がない)と感じるてしまうこととを分ける「根拠」そのものの不確かさの感触(を探ること)が作品の根底にある。しかしそれは、ただ世界の無根拠さ(根拠の不確かさ)を暴き立てて糾弾してみせるということではない。根拠の不確かさの不安そのものの中で生きる感触を捉え、そしてまた、その不確かさこそがリアリティであるという逆説のなかに人物たち存在していることを示しているところに、面白さがある。

⚫︎この作品が、デビュー作というだけでなく、21歳で初めて書いた長編小説だというのだから驚く。大学のサークルに入って、サークルの決まりとして、新入生は謎解きの短編を一つ書くというのがあって、書いてみたら先輩たちに好評で、調子に乗っていくつか書いているうちに、長いものを書いてしまい、それがまた先輩たちから賞賛されて(サークル出身の作家がすでに複数いるので彼らに推薦されて)そのままデビュー、という経緯もすごいのだが、そのようにして書かれた小説が「これ」だ、というのがとんでもないことだ。おそらく、ミステリ界をひっくり返すような作品を書こうという野心があるわけでもなく、ごく身近にいる先輩たちを驚かせようと思って書いたものが、こんなに「とんでもないもの」になってしまうというのが、とんでもない。

(ネタバレになるが、高橋洋の『同志アナスタシア』と並んで、アナスタシアものの変化球的な傑作、とも言える。ロマノフ家最後の皇女アナスタシアと彼女の伝説について、少しでも知識があれば、この作品の味わいは一層深くなる。)

(見立て殺人の根拠が「エラリー・クイーン」であるという意味では、あまりにもマニアックで閉じているが、他方、最後にいきなり、ペレストロイカや末期ソ連の政治状況、そして皇女アナスタシア伝説が出てくるという意味では、だらしなくただ漏れ的に「現実」に開かれている。この、両者のキメラ的結合が、あり得ない、生首のトンデモ密室トリックのあり様とパラレルになっている。)