⚫︎図書館で、予約していた本を受け取ってから、書棚をぶらぶら見ていたら『定番すぎる文学作品をだいたい10ページくらいの漫画で読む。』という本があった。よくある「あらすじだけで読んだ気になる名作」的な本かと思ったら、それはそうなのだが、しかしずいぶん違って驚いた。
(検索してみたら、これは『有名すぎる文学作品をだいたい10ページくらいの漫画で読む。』という本にの第二弾で、第一弾の方はテレビなどでも紹介されてけっこう有名な本らしいとわかった。図書館には第二弾だけがあった。)
パラっとみたら、絵柄も作風も水木しげる調なので、え、水木しげるはこんな仕事もしていたのか、と思ったのだが違って、作者はドリヤス工場という名で、絵柄も作風も(言い方は悪いが)水木しげるの丸パクリ(まあまあパロディと言えばいいのだが)でやっている人のようだ。
これの何がすごいと言って、作風も題材も長さも、それぞれにまったく異なっている原作小説を、一律に10ページ程度にまとめ、そしてどれも一律に水木しげる調に加工してあるというところだ。差異を無視して、強引に、乱暴に、同一のフォーマットに落とし込んでいて、しかもどれもがみな、水木しげる調の、飄々してとぼけた作風に、トーンまでもが統一されている。
「坊ちゃん」も「蟹工船」も「破戒」も「銀河鉄道の夜」も、「フランダースに犬」も「マザーグース」も「ガリバー旅行記」も、すべて10ページ程度に縮減され、水木しげる調の飄々とした調子で語り直されている。これはいわば「読まないでも読んだ気になる」系の本ではあるが、しかし、原作を読んでいる、あるいは少なくともある程度知っている人にこそ、衝撃的だ。原作を知らないと、この落差の感覚を味わえない。
中途半端に原作に忠実にすることで、かえって違いが見えてしまうということはあるが、ここまで痕跡をとどめず改変されていると(いや「あらすじ」のレベルではちゃんと、律儀なくらいに忠実なのだが、だからこそなお一層)、こんなことになってしまうのかと唖然とする。しかし同時に、まあまあ、意外に「ざっくりと」これでいいんじゃね、という気持ちにさえなってくる。やっていることはすごく乱暴なことなのだが、出力されているものが、水木しげる調の飄々としたとぼけた感じのものなので、強引さとか暴力性とかがスルッとすり抜けて消失してしまう。原作を台無しにしているとも言えるのだけど、台無しの向こう側から、何かとても奇妙かつ貴重なものが立ち上がってくる。
これは一方で、水木しげるの作風の、どんなものでも沼のように受け入れてしまう汎用性を表し、しかし、何を受け入れても水木しげるになってしまうという我の強さを表していいるだろう。
おお、これがこうなってしまうのか、とか、ああ、なるほどこれはこうなのか、とか、読んでいて面白い。何にしろ、あるコンセプトを徹底してやり切ってしまうと、そこから特異な質感が出てくるものなのだなあと思った。