2025-08-29

⚫︎マトリックス』を観た。これ、20世紀の映画なんだよな、と(1999年製作)。昔はあまり好きではなかったが、改めて観て、思いの外面白く感じた。新しい世界観を、「(バレットタイムなどの)新しい技術」と「古い物語(神話的ファンタジーの定型であり「救世主が目覚める」話)」によって語る。そのようなやりくちがエンタメの王道なのだろう。今ならそう思うが、若い時は、あまりの「物語の古さ」に納得できなかったのだと思う。それはただぼくの「若さ」というだけでなく、90年代のエンタメ作品は、今よりもずっと先鋭的なものが多かったから、ここまで「古臭い話」を基礎に置くのはむしろ珍しかったのだと思う。

(今回面白く思ったのも物語の次元ではなく、終盤の、AIエージェントと人間とが仮想世界内で戦うクライマックスシーンが、今観ても充実を感じられるくらいに、頑張ってきっちりと作られているということの方だった。)

(神話的ファンタジーの定型のような「物語の古さ」とは別に、現在の地点からこの「物語」をみてみると、あまりに「陰謀論」的な性質が濃厚であることに驚かされた。ネットで真実に目覚めてしまう人は、こんな感じで目覚めて、こんな感覚で生きているのかな、と、思いながら観た。これは『マトリックス』に限った話ではなくて、90年代の世界では、このような陰謀論的ともいえる想像力が有効であり、刺激的であり得て、先鋭的な表現と深く結びついていた。それがいつの間にか「世界」の方が変質した。同様の想像力がネガティブなものにしか結びつかなくなった。コロナ禍で多くの「アーティスト的な資質を持つ人」が陰謀論にハマっていったことが「世界」の変質を物語っているように思う。「人」が変わったというより「世界」が変わったのだ。)

陰謀論的想像力とはまた別の話として、AIによる人類支配がリアルな脅威となった現代では、『マトリックス』の「世界観としての新しさ」の方は、まだまだ古びていない。2020年に作られた『攻殻機動隊SAC_2045』などは、何周も回って、今、逆に(ポストヒューマン・AIの側から見た)『マトリックス』がリアル、みたいな話だった。

(追記、余談。『マトリックス』の「古い物語」には、「目覚める者は、自分が目覚めることを事前に知っていてはならない」「自分が目覚めるということを知らないものだけが目覚めることができる」という逆説がある。これは真理であろう。ゆえに預言者は救世主を名指してはならない。しかしならば、預言者は決して間違えることはない。「お前は救世主ではない」とただ言い続ければいいのだから、ということになってしまう。)