2025-10-08

⚫︎『誰のための綾織』(飛鳥部勝則)。ミステリ小説だが、これはいわく付きの作品で、登場人物の会話部分に人気漫画からの盗用があると指摘され、絶版・回収となり、封印された。それでも、読んだ人たちの間でこの作品には根強い人気があり(盗用といっても「会話」部分のみで、文体やテクスチャ、設定や展開、作品としての構造などはオリジナルであるということだろう)、封印された幻の名作という評判になり、たとえばメルカリでこのタイトルを検索すると、相場で4万円くらい、中には8万円という値段がついていて、それらが大体ソールドアウトになっている。8万円出しても、この本を読みたい(あるいは所有したい)という人がいるのだ。読書メーターブクログのレビューでも褒めている人が多い。

へー、そんなのがあるのか、くらいの認識だったが、検索したら市立図書館に普通に収蔵されていて、一体どんなものかと借りてみた。読んでみたが、趣味としては嫌いではないし、決してつまらなくはないが、そこまで良い作品と言えるほどでもないかなと思った。「封印された」ということで底上げ的に価値づけられるということもあるのだなあと思った。以下、ネタバレしているので注意してください。

(作品の評価とは別に、本自体の希少性からくる価値というのもあるだろう。しかし、作品の評価がなければ、そもそも希少性の価値は生じない。)

(補足だが、90年代のカルチャーには、「著作権など体制側の思想で、バクリ(サンプリング)こそが革命、何をパクって、それをどう編集するのかでセンスが問われる」みたいな風潮・空気感があり、特にポピュラー音楽というジャンルにそれが顕著に現れていたと思うが、そのような尖った空気はしだいに退潮し、「引用するにしても権利関係はちゃんとクリアにしておきましょう」という常識へと変化していったのだが、この小説が書かれたゼロ年代半ばはまだ過渡期で、そのへんの認識が曖昧だったのかもしれないとは思う。たとえばトーフビーツの「水星」は2011年で、この頃でもまだみんな無邪気に「サンプリング」していた。)

⚫︎イマイチだと思うところを二つ挙げる。一つ目。基本的に、複数の女子高校生と女性教師の「淫雛で爛れた関係」と、その関係の中で生じる「愛憎」が背景あるいは基底にあるミステリなのだけど、そのあり方が、いかにも古くさい耽美という感じで、21世紀にこれか(2005年出版)、と思ってしまう。しかも、仮に「古くさい耽美」という傾向を認めたとしても(実は「古くさい耽美」を決して嫌いではないのだが)、「古くさい耽美」としてもそんなに完成度が高くないというか、一人一人のキャラの造形とかその関係のあり方とか、あるいは(愛憎相半ばすることによる)「酷い仕打ち」の内容とかが、ありきたりであるように思われた。

(エグい描写の、その「エグさ」が古い、というか。ただ逆に、エグさが古いので、そんなに生々しくは感じられず、エグい場面でもそこまで嫌な気持ちにならないで済んだという良い点もあるが。)

(女子高校生と女性教師の間の爛れた愛憎関係があり、その関係の中で酷い目にあわされて自死してしまった女子高生がいて、その家族が復讐のために関係者たちを誘拐して孤島に幽閉するというクローズドサークル。こう書いてしまうとあまりにありがちだが、「書き方」にはちゃんといろんな工夫がある。)

二つ目。これは決定的なネタバレだが、この作品で最も大きいトリックである叙述トリックに、全体の4分の1も読まないうちに気づいてしまった。ぼくは基本としてミステリを「トリックを暴こう」という感じで読んではいないのだが(つまり、途中でトリックを察することはほとんどないのだがだが)、普通に読み進めていて、「あれ、これって先生が二人いるよね」と思ってしまった。小説を多く読んでいる人なら、最初に言及される先生と、固有名のある先生は別人だと、(別にトリックとは意識しなくても)普通にそう読んでしまうような書き方になってしまっていると思う。ぼくはまず、あれ、前に出てきた先生はどこに行っちゃったの、と思い、その後で、ああ、これってこの二人を混同させる叙述トリックなのか、と気ついた。

さすがに最後の最後のオチ=トリック(小説内小説とその外枠との関係)までは予想できなかったが。

(けっきょく、「捨てトリック」を一番面白く思った。)

意図的であれ、無意識であれ、語り手に明らかに何らかの認識上の欠落(語り落とし)があるのだが、その欠落が何かがわからないまま進行する不穏な語り、というのを、基本的にぼくは好んでいるので、こういう形の叙述トリックは楽しんで読めるのだけど、あんまり上手い叙述トリックではないよね、と思った。

⚫︎冒頭にちょっと唐突に感じられる京極夏彦ディスみたいな小ネタがあるのだが(2005年に出版される小説に、94、5年に評判になった小説のディスをわざわざ入れる ? と疑問に思うのだが)、最後まで読むとそれが、「見えるはずのものが見えていない」という点でやってることはこの作品も同じだよね、という、回りくどい上にわかりづらい自己言及(自虐 ? )になっている、という、微妙な捻くれ方は好きだ。