⚫︎名前としては超有名であるのに、それに比べその作品の意味や可能性が未だ充分に受け止められ、理解されているとは思えない、魅惑を放ちつつも解けない謎のようにしてある画家(絵画)がぼくにとっては二人いて、一人がアルツハイマー発症後の最晩年のデ・クーニングで、もう一人が画家としてのル・コルビュジエ(ジャンヌレ)だ。
どちらも、近代絵画的な価値観からすれば、そんなにクオリティの高い作品とはいえないと思う。晩年のデ・クーニングは、全盛期と比べると衰弱しているとしかいえないし(さまざまな判断が「甘く」「ぬるく」なってしまっていることは否定できない)、ル・コルビュジエは、画家としての才能はそんなにはすごくないかもしれない(特に色彩にかんして)。それでも、晩年のデ・クーニングの絵画からしか感じられない独自の「気持ち悪さの質」があり、ル・コルビュジエの絵画からしか感じられない(建築作品とは別種の)独自の空間の感覚(空間とオブジェクトの関係の付け方、というか、空間の中でのオブジェクトの立ち上がり方)がある。
デ・クーニングは明らかにモダニズムの画家であり、ル・コルビュジエは近代建築最大の巨匠の一人なのだが、その「気持ち悪さの質」や「空間の感覚」はモダニズムには収まらないというか、もっというと、モダニズムとは食い合わせの悪い何かであるように思われる。とはいえそれは、モダニズムを通過することで初めて顕在化するような何かでもあると思われる。
だがそれが未だ掴みきれないという感じがぼくにはある。特に、ル・コルビュジエの絵画の面白さと掴みがたさ。普通に考えれば「悪い絵」だと言ってしまってもいいようなものなのだが、でも「悪い絵」にしては面白過ぎる。で、じゃあ、どう面白いのかと問われると、うーんと口篭ってしまう。
(ル・コルビュジエは、アイリーン・グレイの美しいヴィラに勝手に壁画を描いて空間を台無しにしてしまう。ああいうのは本当に「悪い絵」としか言えないものだが。)
⚫︎下は去年のパナソニック汐留美術館の展覧会のチラシの画像。キュビズムにもなっていないし、趣味も良くないし、(モダニズム的な)絵としては破綻していると思うが、でも、こんな絵は見たことがないという面白さがある。観れば観るほど面白いが、あまりに複雑なので一体どうなっているのかわからなくなる(これこそまさに「カオスモーズ」だ、などと思ってしまう)。モダニズムを知らないとこういう絵は描けないが、モダニズムの教育=抑圧がどこか根本で壊れていないとこういうふうにはならないと思う。
(晩年のデ・クーニングやル・コルビュジエの絵画と比べると、フランシス・ベーコンとかは生真面目すぎて、あるいはわかりやすすぎて、逸脱が足りないと思ってしまう。)
(あるいは、フランク・ステラよりも断然過激だと思う。)
(「カオスモーズ」とは「カオス」と「コスモス」が「オスモーズ(浸透)」しあった状態というフェリックス・ガタリの造語。)
