「 笑っていいとも 」に武田真治が出てた。彼の出ている、黒沢清監督の「 大いなる幻影 」の公開は、12月17日からだそうだ。これは絶対忘れてはいけない。多分、澁谷のユーロスぺースだろう。
DJ用のビデオの編集中に、編集用のビデオデッキの調子が悪くなってしまう。確かに安物だけど、買ってまだ半年も経ってない。かなりヘヴィに使ってはいたけど、壊れるにはまだ早すぎる。ビデオはまだ完成してなくて、詰めて直したい部分が何箇所もあるのだけど、作業を続けられない。買い直すお金もない。期日も迫っているし、まあ、一応形にはなっていると思うので、このまま送ってしまおう。ご免、これで許してくれ。
コーヒーを買いに外に出たら、雨が降っていた。気づかなかった。久々の雨。天気予報で使う「 適度なお湿り 」って言葉、なんか嫌だなあ。
阿部良雄シャルル・ボードレール 」からの引用。<表象手段の物質性を切りつめて、表象の対象の像があたかもそれ自体として--物質的手段の助けを借りることなく--現れ出るかのような錯覚をを抱かせるその際、油彩の層の薄さが、表象手段消滅の換喩となるところに、十九世紀アカデミー絵画の特徴--対象再現性ゆえに、レアリズムの名を( 誤って )冠せられる特徴--があった。他方、油彩画の物質性が現実世界の物質性のむしろ隠喩として機能することこそ、クールベによって代表されるレアリズムが、アカデミー絵画に真っ向から対立するゆえんに他ならない。>
とても重要な指摘だと思う。近代絵画の全てがここ(クールベによって代表されるレアリズム)から始まる。
ゴダール「 中国女」を見る。ここで主張されている政治的な言説が全て古びてしまった今でも、なお、この作品は重要であり続けている。それこそ、<表象手段の物質性>と<表象の対象の像>との関係性において。
今週は、櫻井くんの個展。なんとか見に行く時間がつくれるだろうか。
今日の夕方出てから、明日の午後遅くまで帰れないので、今日の分の日記は早めにアップしとく。なにかあったら明日。



昨日の深夜、というか今日の早朝、久しぶりにネットに繋げっぽなしにして、長時間、あちこちのページをのぞいたり、書き込みをしたりしていた。こんなことをしたのは二ヶ月ちょっと前に、初めてプロバイダーと契約したばかりの時以来。電話料金がかなり心配。で、そんなことしてたら覿面、眼の奥から頭の奥にかけての、ひどい頭痛に襲われる。やっぱ、コンピューターって、確実に人間の身体を蝕んでるなあ、と感じる。もともと眼は弱いし、頭痛は日常的なものではあるのだけど、この痛みは尋常じゃない。
痛み止めを飲んで、多少痛みはやわらいだものの、今度はすっかり眼が冴えてしまって、眠れなくなる。眠れそうな気配すら感じられない。しょうがないから、すっかり明るくなる朝の八時過ぎまで、ずっとCD聴いてる。
矢野顕子の「 スーパーフォークソング 」というアルバムの「 夏が終わる 」という曲の、
 なぞのような ひとの裏切り
 白いよろい戸が 閉じられる
 あげは くわがた くまんばち
 おけら あしなが きりぎりす
という部分を聴いていて思ったのだけど、最近、くまんばちって、あまり見ないなあ。
まあ、今は冬なんだから当然だけど、最近、というのはここ十年くらい、ということ。ぼくが子供の頃なんかは、かなりポピュラーにそこここにいて、たびたび、ぼくらを恐怖に陥れてたんだけど。すずめばちっていうのは、最近でもいろいろ話題になってたりして、巣なんかもちらほらと見かけたりするのだけど。くまんばち、絶滅の危機か・・・。
八時過ぎに、ようやくうとうとと眠ることが出来て、昼過ぎに目覚めると、すっかり風邪ひいていた。何故、こう、二、三日ゆっくりできる時間が出来た時にかぎって、風邪をひいてしまうのか。って、ただ、単に気が緩むからなんだけど。
ゴホゴホ咳をしたり、鼻水たらしたりしながら、軽く部屋を整理してたら、三年くらい前、制作にすっかり行き詰まって、自分のやりたい事が全くみえなくなってしまっていた時に、毎日林檎のデッサンばかり描いていたスケッチブックがみつかる。この頃は、とにかく何をやったら良いのか分らなくて、何でもいいから手がかりになる対象がほしくて、スーパーの果物・野菜売り場で、一際、面白い形態と良い色をしていた林檎が目について、それを馬鹿みたいに毎日、何枚も何枚も描いていたのだった。
こういうものは恥ずかしいので絶対人には見せないからこそ、こんなことが言えるのだけど、これが凄く良いんだ。ぼくはいつの間にこんなにデッサンが上手になったんだろうか。いやあ、気合いもビシビシ伝わってくるし。凄い、凄い。って、文字通り「 自画自賛 」。
これは、墨汁とジェッソを使って割り箸で描いたのだった。ぼくには、こういう「 描きづらい 」描画材料が必要なんだ、と気づいたのも、この時だったんだなあ、と思い出した。
いやあ、やっぱ、林檎は、近代絵画の基本でしょう。
あ、昨日につづいての、林檎の話だ。
今日は、午後十時からNHKの教育テレビで、カール・ドライヤー(ドライエル)の「 奇跡 」が放送されるから、日記はさっさと片付けて、それを観ることに集中しよう。目を休めとかなきゃ。
追伸。「 奇跡 」を録画するために、テープを買いに外に出たら、昨日までのバカ騒ぎぶりとはうって変わって、やけに静かだった。風邪で耳がツーンとしているせいかもしれないけど、何か変にシーンとしていて、自分の足音がよく響くくらい。こんなに静かな夕方は珍しい。