『オーヴァーラップを主要なマチエールとすれば、出発したその場所を忘れることなく、まだ到着する場所を知らないまま、ある場所から別の場所へ行くことができるようになる。途中で予期しない出来事が起こるかもしれないと知りながら。』(J・L・ゴダール)
 --湿ったグランドの土がやけに黒く見える。
 --生け垣がガサガサ揺れて、なかから鳥の声。
 --グランドの隅にある蛇口。その横にとぐろ巻く水色のホース。
 --石垣の、石と石との隙間から生えている雑草。
 --背もたれの部分が破けていて、ガムテープで貼ってあるベンチ。
 --重たい雲のかかる空。雲から染み出た光がぼうっとあたりに拡がる。もう、街灯がついている。
 --コブシの木と、ヤマボウシの木。
 --廃車になった車の上に被さっている、水色のビニール・シート。風でガサガサと音。
ヒューストンの映画をおととい観たので、「 ザ・デッド 」を読み返してみようと思ったのだけど、本が見当たらない。記憶だけで書くのでかなり不正確だと思う。映画ではさらっと流してあった、クライマックスの部分。
ただ過去のなかでだけ生きているような人たちが集うパーティーの帰り際、男が階段の下から上を見上げると、踊り場で妻が、老歌手が歌う歌を聴いて涙を流しているのが見える。妻の顔は上気していて、死者たちのなかで唯一生き生きとして輝いる。男は妻の生の力に感応するように、妻に対して強く欲情をおぼえる。外へ出て、冷たい雪に当たっても、むしろその冷たさが心地よいと感じるほど、男は熱く燃えるような感じのなかにいる。ホテルへと向かう馬車のなかで、男は妻の手にキスをするが、妻はそれに答えない。
ホテルの部屋、男は妻を抱き寄せる。妻の目は潤んでいる。そうだ、やはり私が妻を求めている時、妻も私をもとめているのだ、と男は感じる。しかし、妻の口からは、老歌手の歌を聴いて、若い頃に愛していた男を思い出して涙を流していた、という言葉が出る。その男は17才で死んでしまった、私のせいで・・、と続け、泣き崩れる妻。
男はまず、自分が妻と切り離されてしまったような強い孤独感を抱き、それは次第に、もうこの世にはいない男への嫉妬のような感情へと変化してゆく。しかし、目の前で泣いている妻を見るうち、中年といわれる年齢になってもなお、若い頃の恋愛に対してこんなにも涙を流す女を、いとうしく感じるようになる。妻は私にとって今もなお美しいが、しかしもう、十七才で死んでしまった少年が愛した女とは違ってしまっている。そう考えると、かつて妻が愛した今ではこの世にいない少年に対しても、時間のなかで変化し、滅んでゆくあらゆる人々、風景に対しても、強い愛しさのような感情が込み上げてくる。あらゆる人たち、あらゆる物たちが皆、時間の中で変化し崩壊してゆく。そしてその全てを包み込むように、まるで宇宙から降ってきたような美しい雪のイメージか重ねられる。(かなり、いい加減で恣意的な要約)たしか、こんな感じだったと思う。
過去のなかで生きる人たちのなかで唯一、現在のなかで輝いているように見えた妻も、実は過去の思い出によって輝いていたのだった。つまり「 ザ・デット 」という小説は文字どおり、徹底的に死者=亡霊たちについての小説なのだった。しかし、あらゆる人たち物たちが、時間のなかで等しく崩壊してゆくしかないとするなら、今を生きている人たち、過去の中に生きる人たち、もうすでに消滅してしまった人たち、未だ存在せず未来に生を受ける人たち、も皆、等しく、死者=亡霊のようなものであり、亡霊として生きるしかないのだった。