尾崎翠『第七官界彷徨』

雨はやんだけど、今日も寒い日。疲れ果てて1日寝ていた。
尾崎翠第七官界彷徨』。タイトルがかっこいい。大正から昭和初期の、戦前・前ともいえる、経済的に豊かでモダンな時期の雰囲気が濃厚にする、という感じ。テマティックで構成主義的な小説というか。横光利一の『機械』とかちょっと思い出す。
しかし何といっても、ぼくは、80年代初めにシネマプラセットで製作された、長嶺高文・監督の『ヘリウッド』という映画を思い出した。この映画で篠原勝之演じる植物学者は、和室の中央に畠をつくり、そこに肥をまいたりしていた。随分前に観た映画なので記憶に自信がないのだけど、確かこの植物学者も、植物の恋愛についての論文を書いていたように思う。宇宙からやってきた悪者がマッドサイエンティストを従え、牧師と愛欲の日々を送る美少年を誘拐してきて、彼の腸に種を植え込むことで植物人間にしようとする。悲しみにくれる牧師をみて、美少年を救出しようと決意する女子高校性3人組。スカトロ、ソドミイ、フリーク、等々、悪趣味とチープさとでドロドロの(決して出来のいいとはいえない)この映画を、明朗な空のようだ、とか評されたりする尾崎翠と併置すると、尾崎フリークは怒り狂うかもしれないけど、徹底して『絵空事』にこだわり、絵空事を緻密に組み立てることで、何かを表現しようとするという姿勢は近いものがあると思うし、それに、尾崎的透明感と、悪趣味ドロドロって、感性として近いというか、けっこう紙一重なんじゃないだろうか。
ぼくが『第七官界彷徨』で面白いと思ったのは、空間的な配置や、それに関する小道具。蜜柑のなる生垣、物干用の三叉による隣との交信、家じゅうに拡がるこやしの臭い、家じゅうに響く音楽、三五郎が部屋で弾くピアノに、別の部屋の二助が反応して歌う、部屋ごしに会話する一助と二助、それを別の部屋で聞いている三五郎と町子、絶えず部屋を移動する町子、二助の部屋の配置、三五郎の部屋の天井に空いている穴、色々な場所にあらわれる雑巾バケツ・・等々。様々なテマティックな細部が複雑にからみ合い、変奏されることによって構成されているこの小説のなかでも、とりわけ空間的な細部は冴えているのではないか。