ヨコハマポートサイドギャラリーで、小林良一・展

小林さんの作品は、もうモロに「ペインタリーな」感性によってつくられた、しっかりし過ぎている程しっかりした「絵画」としか言い様のないもので、そこが最大の強みであると同時に弱味でもあるようなものなのだ。だから絵画に対して少なからぬ執着をもっている人には、そのガッシリとした本格派的な実力を認められはしても、特に絵画に興味を感じない人にとっては、何で今どきこんなことをやっているのか分らない、という受け止められ方をされてしまう。つまり「通好み」とか「玄人ウケ」とか言うような場所に簡単にカテゴライズされて済まされてしまいがちなのだ。しかし、そのような「弱さ」は、小林さんの作品がもってしまっている弱さと言うよりは、それを受けとめる側の知性や感性が怠惰なのだ、と言うべきだろう。小林さんの作品は、抽象表現主義以降のフォーマルな絵画の単純な延長線上にあるものだとみなして安心してしまえるほど、御し易いものではない。油絵具という物質に、何とも言えない独自の「質」を与えることが出来る小林さんの画面は、その上質な趣味によって絵画好きを安心させてしまいはするかもしれない。しかし、その物質でもあり色彩でもある独自の質の「落ち着き所」は、実はそれほど安定したものとは言えない。その、色彩であると同時に絵具という物質の「質」でもあるような不思議な「拡がり」は、画面の向こう側へ退きつつ拡がってゆく空間であるのと同時に、画面の手前に向かってでろっとしみ出してくるゼリー状の無気味な厚みであり、抵抗感であるようなものなのだ。

今回発表された作品は、その不思議な絵具の質に加えて、何とも納まりのつきにくい形態が出現している。しかし、これを簡単に「形態」と言ってしまって良いのだろうか。これは形態のようであり、筆触のようでもあり、またはただの塗り残しのようでもある。こんな風に書くと、これが中途半端で曖昧なものであるかのように聞こえてしまうのだが、この不思議な捉え難さは、曖昧さによるものではなくて「複雑さ」によるのだ。この複雑で捉え難い形態が、基底的な空間を形づくっていると言える独自の質をもった色彩のなかに散らばっている訳だが、しかしよく観てみると、一見して基底的な拡がりであるかのように見えたこの一面に拡がる色彩が、実は本当にそうなのかどうかがアヤしくなってくるのだ。ある基底的な色彩のなかに、形態が、それがポジティブな形態なのかそれも基底的な色彩の途切れたところに亀裂のように出現するものなのか判然としないながらも、たしかに形態が散らばっているように思えたのだが、実は基底的な拡がりだと思っていたものも形態としてとしてあって、それが画面を埋め尽してしまったが故に基底をなすものに見えているに過ぎず、つまりそこにはあらかじめ基底となるものなど全くなくて、ただ複数の分裂した形態によるせめぎ合いがあるだけで、たまたまそこで比較的優勢になった形態=色彩=質があるだけなのだと気付く。だから始めに基底的なものに見えていたその色彩は、実は「比較的に優勢なもの」に過ぎず、だから決して全体を制御するには至っていなくて、つまりこの一枚の平面であるに過ぎない図象を、まるで晩年のゴーキーが描くような形態が、マティスの赤い部屋のような空間で複雑に明滅しているような絵画を、我々は決して一挙に全体像として捉えることは出来ず、時間をかけて何度も何度も見直したものを、頭のなかでホログラフィのように立体的に(あるいは四次元的に?)組み立て直してみるしかないのだ。

ヨコハマポートサイドギャラリーというのは、横浜駅の東口方面にあって、ぼくは浪人時代に横浜の予備校に通っていたのだけど、それは西口の方にあったので、東口には降りたことがなくて初めてだったのだが、この東口辺りの風景というか空間の作られ方は、何ともガサツで雑多な感じで、とても良かったのだ。東口を出るといきなりただっ広い道路があって、その上方に高速道路もはしっている。車の騒音と排気ガス、それに強い太陽と照り返しで、クラクラする。高速道路の高架を支える柱や骨組みなどは潮風ですっかり錆び付いている。道路と反対側では駅の工事の最中で、金属のざっくりした構造が露出しているし、そこからの騒音も凄い。そこにあるあらゆるものが、人間の身体サイズを無視したような荒っぽい感じで存在していて、人は何処を歩いたらよいのかも一瞬分らないくらいだ。工事のためなのか、金網で仕切られたやけに狭い通路だけが人間が通ることの許された道で、そこを歩いて駅前からすこし先へ行くと、今度はやたらと平べったい土地に、意味のないくらいバカデカい比較的新しい建物と、古くて打ち捨てられたまま放置してあるような荒んだ建物とが混在しているような場所に出た。まるで中原昌也の小説のような光景と言ったらよいのか、こういう場所を歩いていると何故かワクワクしてくるのだった。コンクリートと金属とアスファルト、騒音と排気ガスとホコリっぽい上にベタつく潮風、必要以上に広くて平らな道路からのキツい照り返し。そんな単調で平坦な道を歩いてゆくと、いきなりという感じで段差があらわれ、そこにやや陥没した感じの、そこだけ砂利が敷いてある土の駐車場があって、その周囲を囲む金網に絡み付くように、あまり見掛けたことのない南国風の植物が茂っていて、やや萎れた感じではあるものの、派手なピンク色の花をめいっぱい咲かせていて、そのやや下向き加減の花が、潮風でゆらゆらと揺れていたりするところを見ると、失礼な話ではあるが、もし小林さんの作品が詰まらなかったとしても、これを見ただけで充分にここまで来たかいがあった、なんて思ったのだった。(ギャラリーはそのすぐ先にある、やたらとデカくてきれいな建物の一階にあったのだった。)