02/03/11

印象派のもっとも革命的なところは、タッチ(筆触)に自律的な価値を与えたというところにあると思われる。モネの画面を観てまず最初に目に入ってくるのは、光というよりもウネウネとうねって画面を覆い尽す筆触であるだろう。明暗やモデリングのためのグラデーションをつくる筆触ではなくて、画面を構成する細小単位としての筆触。画面が無数の筆触で出来ているということは、画面の統一性は、常に無数の筆触の運動へと解体されてしまいかねない、ということでもある。無数の筆触によって埋め尽されて、限りなくオールオーヴァーな平面に近づいた画面は、その一方で容易にひとつひとつの筆触へとバラけてしまう。ここには筆触のアナーキズムとでもいうべきものが実現されている。筆触に与える意味や、放っておくとバラけてしまう筆触同士を結びつけ組織化するやり方は1人1人の画家によって異なるのだが、筆触によって描くという意味では、モネもゴッホもスーラもセザンヌも同じであるし、ここからポロックまでの距離はほとんどないと言えるくらいに僅かだ。地面の茶色や黄土色に空の青が混じり込み、空の青に木々の緑や地面の黄土色が混じり混むセザンヌにおいては、画面は固有の物や固有の空間であると同時に筆触の自律的な運動でありそのリズムであり震動でもある。だから筆触によって描く画家には、例えばある色面をベタッと平塗りすることなど考えられない。
しかし、印象派と一般的に呼ばれる画家でマネだけが違っている。マネはタッチによって描くのではなく色面と形態によって描くと言えるだろう。画面を埋め尽す筆触が混じり合いひしめき合い震動するように描くのではなくて、色と色、形態と形態をぶつけるように組み合わせることで画面を構築する。マネはそれによって西洋の画家で恐らく初めて、明暗からもモデリングからも完全に自由になった色彩の純粋な輝きを実現することが出来たのだ。画面のある部分を真っ黒く塗りつぶすこと。こんな芸当が出来たのは当時はマネだけだっただろう。『笛を吹く少年』の真っ黒く塗りつぶされたズボン。これによって明暗とは全く無関係な、明るく輝く色彩としての「黒」が発見されたのだ。筆触によって描く画家には、このような「黒」を使用することは出来ない。
筆触によって描くことと色面によって描くこと。これらは相反することであり、水と油のように容易には混じり合うことが出来ない。例えばゴッホなどは何とかそれを実現しようと努力している跡がみられるのだけど、成功しているとは思えず、彼の良い作品は皆筆触によって描かれていると言ってもいいと思う。でもこの矛盾する2つの要素がごく稀に1人の画家のなかに平然と同居してしまうことがあって、つまりその画家はマティスという名前をもっている。マティスは恐らく資質においてはマネに近い、色面や形態をぶつけ合わせることで画面を構築するという人なのではないだろうか。その傾向は、マティスがアングルや、あるいは日本の版画などを好んだことからもうかがわれる。しかしマティスにとって何よりも決定的だったのはセザンヌであり、セザンヌを観てしまったという事実を忘れて自らの資質だけに従う訳にはいかなかったのではないか。マティスにおいては、よく色彩とデッサンとの矛盾をはらんだ統合のようなことが言われるのだど、それだけではなく、色面と筆致とのあり得ない結びつき、悪く言えば折衷的な使用というのがあるように思うのだ。マティスにおいて色面は筆致によって出来ているのだし、それにしばしば「装飾的」とも言われてしまうような布地の模様の使用法なども、このことと関係しているように思う。折衷的というと聞こえは良くないのだけど、様々な矛盾する要素を一つの画面のなかに平気で放り込んで結びつけてしまうような懐の深さというか広さ、もしかしたら無頓着とギリギリの大らかさのようなものが感じられる。そのことが、マティスの画面をしばしば散漫なものにしたり、分裂が露にみえてしまうものにしたりもするのだが、実はそれこそがマティスの絵画の、いくら観つづけていても新たなおもしろさが沸き上がってくるような、スリリングな豊かさと不可分なものであると思う。(モロッコ人たち!)強引な言い方だけど、ポロックとロスコとニューマンが一枚の画面のなかに同居しているようなものがマティスであって、だから抽象表現主義マティスから何歩も後退しているように思う。