●そこから光がやってくる場所としての空があり、その光が降り注ぎ、それを反射する場所としての地面があり、そして、我々が存在するその場所には重力が作用している。空と地面と重力。おそらくぼくの絵は、この3つの要素によってフレームの外との繋がりが確保されている(それに付け加えるとすれば「色彩」)。別の言い方をすれば、その3つの要素に縛られている。だからぼくの絵は、リアリズムの範疇にあり、抽象画と言うよりも風景画に近いだろう、と言う事も可能だと思われる。光が降ってくる場所としての空があり、それを受け止め、反射する、地面や水面があり、その中間には緑があって、人々はそこを登ったり下ったりする、というのがゴダールの『フレディ・ビュアシュへの手紙』という映画で、これはまさに空と地面と重力の映画であって、だからこのほんの10分余りの短編映画は、ぼくにとっての目標の一つなのだった。
●久しぶりに本屋に立ち寄ったら「少年文芸」という雑誌が出ていて、何の気なしに手に取ってみると、舞城王太郎町田康の詩に絵(切り紙絵)をつけていた。これが素晴らしいもので、前々から舞城氏の線描の上手さはかなりのものだと思っていたけど、しかしそれはあくまでイラストレーションとしてのセンスの良さで、色彩をこんなに使えるというのは驚きだ。とにかく、4枚掲載されている絵はどれも素晴らしいのだが、4枚で出来た一つの流れとしての構成も素晴らしい。岡崎乾二郎の絵本『れろれろくん』よりもカッコイイくらいだ。たんに色彩のセンスが良いということだけではなく、色彩を用いた空間の構成力が凄いのだ。特に1枚めの、文字だけで構成されたページの、極めて複雑であるにも関わらず、明快で澄んでいる空間性はマティスを感じさせ、これだけのものが描ける画家が、他に一体どれだけいるのか、と思わせるほどだ。最後の4枚めの絵も、普通、こういう過剰な装飾模様を切り貼りすると、空間がつぶれるか濁るかしてしまって鬱陶しくなる(その悪い例が『HANA-BI』に出てくる北野武の絵だろう)ことが多いのだが、過剰であることのヤバさと、すっきりした空間性とを両立させているところなど、大げさに言えばゴッホのようだとさえ言える。(随分と大げさには言ってはいるけど。)ぼくは舞城氏の小説をそれほどは良いとは思わないので、是非、画家に転身して本気で絵を描いていただきたいと願う。まあ、それは無茶だとしても、是非、絵本のようなものをつくって欲しいと思う。これ、マジでなかなかのものなので、絵が好きな人は是非観てみて下さい。