ダンボールにクレヨンで描く絵がとてもいい感じ。それだけでなく、ここ十日くらいで作った作品だけで(8点出来た)充分に個展が出来るくらい充実している。とはいえ、夕日の絵は難航しているのだが。こういう感じは年に一回あればいい方なので、この感じをしばらくは捕まえておきたい。
●ここのところ、基本的に早寝早起きで、午前中にたっぷり時間をとって制作し、昼頃に頭を休める感じでぼんやり散歩して、夕方から、喫茶店閉店時間まで粘って本を読むという生活で、すごくいい感じでまわっているのだが、このような生活の唯一問題点は、「お金を生み出さない」ということなのだった(絵が売れればお金にはなるのだが、それは、2ヶ月後とか3ヶ月後とかいう近い将来に期待できることではない)。
●今日は喫茶店へ行く時間を少しズラして、太陽が赤く染まり始めた頃から、完全に沈み切ってしまうまでの一時間くらい、川沿いの道を夕日の方に向かって歩いた。夕日というおおきなスケールは、いま、ここ、という時間・空間を消失させ、もっとおおきな流れのなかに否応無く巻き込むのだが、ぼくはどうしても、それより、自分の周囲にある、暮れてゆく空気や光の気配、徐々に暗くなってゆくなかでの木々や雑草のたたずまい、匂い、風、人々のざわめきや遠くの車の音、それらが広がってゆくこの河川敷の広がり、という自分に近い方に注目が行き、そのようなものの方に魅了されるという傾向がある。努めて遠くの空を眺めるようにして歩くのだが、しかし、夕日というものの大きさに触れるには、もっと別の場所にまで出かける必要があるのかもしれないと思った(高尾山とか?)。
●一日の終わりにメールをチェックすると(ダイヤル回線なので、いちいちモデムをたちあげ、ピー、ジャラジャラジャラーと音が立って接続されるのを待つ)、最近では一日に150件とか160件とか、下手するとそれ以上のメールがあって、そのなかで「迷惑メール」ではないのはせいぜいが1、2件なので、これはもう、自分宛てのメールを「発掘する」という感じなのだった。