●夜、Iさん、Sさん、Kさんと、麻布のトンカツ屋で食事。誘いのメールをくれたIさんが、やたらと「高級トンカツ店」と「高級」を強調していたので、麻布とかいうし、多少びびっていたのだが、ちょっと古い感じの民家風みたいな、いい感じところだったので少しほっとする。IさんとSさんは店に直行だったのだが、ぼくは場所を知らないのでKさんと待ち合わせした。待ち合わせ場所の六本木のABCで、Kさんがちょっと遅れている間に、ちょうど用事があって直前にメールをいただいていた(また別の)Sさんとばったり会って、用件について少し立ち話する。こんな人の多い都会の真ん中で偶然に人と会うなんてことがあるのか、と驚く(六本木のABCなんて、まさに「都会の真ん中」っていうイメージだ)。帰りは、六本木駅ではなく、表参道駅まで四人で歩く。途中にあるプラダの建物をみて、「これは現代美術的にどうなんですか」と、答えようのない質問をIさんが何度もしつこくする。
●終電に近い電車に乗ると、ただ混んでいるということだけでなく、昼間や夜のもっと浅い時間に比べ、そこにいる一人一人の人の感情や思いが、より濃く、より無防備に、そのからだから滲み出ているように感じられて、そのことに圧倒されて、息苦しくなってしまう。ここにいる一人一人の人それぞれに、それぞれの思いがあり、感情があり、欲望があり、倦怠があり、失意があり、希望があるのだということが、そのからだから漂い出ていて、そしてそれは、勿論ぼく自身にもあてはまる。昼間には抑制され、ブロックされていたものが、夜中には溢れる。人々から発散されている強い気配や波動が、ぼくに受け止められる容量を超えてしまって、あっぷあっぷとしてしまう感じで、とても疲労する。ぼく自身の感情もまた乱される。誰か、途中まで一緒に帰る人でもいればまた別なのだろうが、ぼくの場合だいたい、都心部で会っていた人と別れ、八王子までの長い距離を一人で帰ることになる。都心に向かうときは苦ではなくむしろ楽しいものであるこの距離は、帰りには重たいものとなる。終電に近い電車は律儀に各駅で停まるし、なかなか動き出さないことすらある。都心から離れても、乗客の数はほとんど減らない。窓の外は真っ暗に塗りつぶされている。それに今日は、とても蒸していた。基本的に、電車に乗っていることは好きなのだが、この時ばかりは、はやく着かないかとそわそわした気持ちになる。芯のある疲労が残り、こんな時はアルコールがなければ眠れない。