●系譜はそこに連なる人の目にしか見えない。それは現在や文脈や状況や空気のように共有されるものではなく、過去から未来へと走り抜けて、現在(文脈、状況、空気)を切り裂く断層である。歴史を眼差す独学者のいびつな深さが、それを幻視させる。だからそれは、(共時的にも通時的にも)単調な基底平面(基底空間でもいいけど)を設定した上で、その中での配置としてしかものごとをみられない人には決して見えない。あるいは、そのような人には誤謬としてしか映らない。外的な正当性が保障されないから。他の人には見えないであろう亡霊(系譜・星座)に憑りつかれている人は、他の人もまた、自分には見えない別の亡霊に憑りつかれているかもしれないという想像力をもつ。ほくは、その亡霊=誤謬の深さにこそ生の場があることを信じる。そして、互いに見ることが出来ず、決して見つめ合うことも見比べることも出来ない(同次元には存在しない)孤独な亡霊たちを貫く力が、この世界にはあることを信じること。