●いわゆる「現実」は、現実の一部であって決してすべてではないことを、少なくとも忘れないようにしたい。「現実」の外にこそ、別の世界-現実があるかもしれないのだし。「現実」を否定するのではない。だが、それは決して「すべてではない」。それが「すべてではない」ということのなかに(だけ)希望がある。「現実」を変えようとする思考は必然的にマチズモへ至る。そうではなくて、「現実」のなかに、それが「すべてではない」ことを示すしるしを見つけ出すことが、何かを創り出す可能性を開く。そこで生まれるささやかなものによって、かろうじて私は生きることができる。そして、その可能性をあらかじめ閉じようとする「現実」の恫喝に負けないためにこそ、芸術はある。その歴史の蓄積こそが、そのための力となる。
常に夢見がちでいて、進んで夢のなかへと踏み込んでゆこう! 「現実」よりも夢の方がリアルだということは、「現実」から夢への撤退などではなく、けっして現実をあきらめることのない粘り強い持続のための、未来(の現実)への目印であり、結び目である。その未来が、現実として「私のためのもの」でなかったとしても、私にとっても、それが夢みられることが可能であるならば(私も夢によってそこと結びついているのだから)、そんなことは大した問題ではない。我々が夢をみるという出来事が現実としてあるのだから、夢はけっして非現実的なものではないはず。夢見がちであることによってこそ(「現実」によって均されることのない)現実に触れうるのだ、とさえ思う。