●ずっとだらだら観ていた『ツイン・ピークス』がようやく最終話まで行った。それにしてもこの話は、終盤になるにしたがって、登場人物たちがみんな、そろいもそろってどんどん善人になってゆくという変な話なのだった。『ツイン・ピークス』の一番変なところは、そこではないか。
●リンチは自身で演出をした第二シーズンの最初の話と最終話で、老人がたどたどしくゆっくりと動く様を、かなり時間をとってじっくり見せていて(ホテルの給仕と銀行の行員)、それがすごく印象的で、「リンチっぽい」と思うのだが(『ツイン・ピークス』において、演出家としてのリンチの最大の貢献は「老人の存在」を強く刻印したことだ、とさえ思う)、でも、他の映画でそういう場面があっただろうかと思い出そうとしてもなかなか思い出せない。
いや、そうか、それが『ストレイトストーリー』になったのかも…。
●今から振り返ると、最終話は『インランド・エンパイア』の最初のエスキースのようにも感じられる。『インランド・エンパイア』では世界全体がブラック・ロッジ化する、というか。ローラの母親役のグレイス・ザブリスキーはこの時点で既に、『インランド・エンパイア』の謎のおばあさんとほぼ同じ顔になっている。
●九十年代のリンチは、バリー・ギフォードとマーク・フロストという二人のライターと重要なコラボレーションしているのだが、バリー・ギフォードは小説家として有名だし、その協力関係の重要性は自明だと思うけど、マーク・フロストは、ちょっと検索して調べただけでは、『ツイン・ピークス』以外は目立った仕事はないみたいだ。でも、リンチはつづけてこの後、マーク・フロストと組んで『オン・ジ・エアー』というテレビドラマを製作していて(五十年代のテレビ界を舞台にしたコメディ)、これは、作品として成功しているとは言い難いとしても、リンチ好きとしてはすごく面白い(面白過ぎる)作品で、だからマーク・フロストとの協力関係も、たんにリンチの発想をテレビドラマとしても通用するように通俗化するというだけではなく、とても重要なものだったのではないだろうかと思って興味があるのだが、リンチとの共作以外の作品を参照することがむつかしい。
●というか、『インランド・エンパイア』は、リンチのある傾向の作品としてはやり切った感があるので、今後はぜひ、『オン・ジ・エアー』的な面が全面に出た新作を観てみたいと、ファンとしては思うのだった。
●終わり方があまりに普通というか、定石通りだったので、逆に驚いた。
●というか、レオは一体どうなったのだろうか。それがすごく気になる。ジェームズはとうとう、行ったきりでかえってこなかった。
●リンチ好きとか言っても、ぼくは実は一度も『エレファント・マン』を最後まで観たことがないのだった。何度かチャレンジしたのだが、どうしても途中で飽きて、観るのをやめてしまう。