●『狼の群れと暮らした男』(ショーン・エリス+ペニー・ジューノ)という本を読み始めたのだが、すごく面白い。まだ半分くらいしか読めてないけど。ロッキー山脈の森に生息する野生の狼に、その群れの一員として受け入れられた人間の話。狼少年のように狼に育てられたというのではなく、人間が、既に人間として大人になってから、自らの意思で「狼の群れの一員」になろうとする。文字通りの「狼への生成変化」。フィクションではなくて、実際にその「受け入れられた人」(ショーン・エリス)が書いている。
この人は、(まあ、そこに至る前段階がいろいろあるのだけど)野生の狼の群れに受け入れてもらいたいという望みから、ロッキー山脈の森のなかに単身乗り込む。服を着替えることも体を洗うこともなく、ウサギをつかまえてその生肉を食料とし、捕食動物への恐怖に震え、まとまった睡眠もとれないという完全に孤独な生活をつづけ、四カ月経った頃にようやく、一頭の狼が目の前を通り過ぎるという出来事に遭遇する。で、それから狼の群れとの関係の一進一退があって、九カ月後くらいに、なんと彼らの群れの一員として迎えられるのだった。
この著者の生い立ちや経歴、なぜ狼の群れに受け入れられたいと考えるようになったのかなどの過程もそれなりに興味深くはあるけど、面白いのは何といっても森のなかの生活に入ってからだ。森のなかでの孤独や恐怖、次第に嗅覚と聴覚が敏感になってゆき、耳と鼻とで、目に見えていない森の動物たちの動きや存在を感じられるようになってゆくこと、そして、自分が狼たちを見ているという以上に、狼たちから見られているのだという感覚。そして狼たちとの遭遇と、彼らに受け入れられてゆく過程。
狼の群れは、ある相手を受け入れるべきかどうか判断する時の最初の段階として、見張り役の代表の一頭が近寄ってきて、相手の臭いを嗅ぎ、膝の辺りを咬むという行為をするそうだ(著者は、以前に飼育された狼の群れには「受け入れられた」経験があり、そのことを前もって知っている)。狼にとっては「軽く咬む」ことであっても、人間にとってはダメージが大きい。しかしそこで、オオカミに対して敵対や防御のような態度を(無意識の、咄嗟の行為であっても)みせると、おそらく狼は相手を受け入れるどころか敵として見做すだろう。だからその痛みを受け入れなくはならない。実際、狼の顎は人間の頭がい骨など簡単に砕いてしまう力をもつので、狼と関係するということは、常に、自分の命を、相手の判断(狼が自分を敵と見るのか見ないのか)に完全に預けてしまっている状態だということになる。実際、著者はなんども「これでお終いだ」と思うのだ。
●群れのオスたちには受け入れられた後も、ボスのメス狼には、なかなか受け入れてもらえなかった。以下の引用は、著者がそのボスから受け入れたと感じた瞬間の描写。
≪ある朝早く私が空地にいると彼ら四匹がずいぶん久しぶりに現れた。いつものように、私は彼らが近づいてきたので体を低くした。今度はメスまでもあいさつするかのようにして近づいてきた。彼女は私から約一〇メートルのところに座り、オスが私の体に接触するのを眺めていた。彼らの気分に変化があるのがわかった。もっと乱暴になり、エネルギーレベルが上がっていた。オスは私のほうに突進し、強力な体で私にかぶさった。私は彼の重さで地面に倒された。こんなことは以前にもあったので私は特に心配はしなかったが、気がついてみると、メスがオスと交代し、それまで三〇メートル向こうで唸り喚いていたのが、私の顔から三インチしか離れていないところで咆哮しているのだった。私の顔に彼女の生暖かい息がかかった。歯が唇からめくれていた――これでお終いだと思った。オスが力づくで割って入ろうとした。彼が私を助けようとしているのか殺しに参加しようとしていのかわからなかったが、メスがオスの鼻面を咬むとオスは引き下がった。私はなすすべなくそこに横たわっていた。何が起きてもただ受け入れるしかなかった。
彼女が私の上に乗っていたのは二分か三分だろうが生涯で最も長い時間だった。彼女は私に何の危害も加えなかった。彼女がやっと私を解放し仲間のもとへ戻ったとき、彼女の私に対するしつけは終わったのだ。この事件があっても彼女の私に対する態度に変化はないようだったが、私の彼女に対する態度には劇的な変化があった。彼女は私を殺そうと思えば簡単に殺せたが、殺さない選択をしたことを私は知った。それは大きな違いだった。その時点まで私は彼女に殺しの気配ありと信じていた。≫