●通っていた中学のまわりは市街化調整区域になっていて、今でも見渡す限り田んぼが広がっている。その辺りを散歩していて思うのは、田園風景というのはとてもモダニズム絵画的だということだ。特に今の季節。
まず平坦であり、直線的であり、ハードエッジである。エッジはハードであるが、色の対比はやわらかい。稲の緑で、緑の色面が平面的に遠くまで広がり、交差して伸びる農道と農業用水路がそれを仕分ける。地上の緑のひろがりに対し、空の水色の広がりがあり、農業用水路の水面には、空の色を反射して空より深く濃い青があって、色帯として緑の色面を囲い、農道の土の黄土色がわずかな暖色としてアクセントとなる。緑の稲は風でゆっくりと波うち、水路の濃い青は流れでチラチラし、空は光や雲でニュアンスがかわる。
今日、撮った写真じゃないけど、下みたいな感じ。


これは人工的、モダニズム的平面で、一方、通っていた高校は教室から海が見えた。これはさらに大きい平面で、ずっと先まで広がっている。こちらは、地理的スケール、あるいは惑星的スケールの平面だと言える(とはいえ、水平線というのは、実際見るとそんなに「遥か彼方」という程には遠い感じではなく、案外近い感じなのだけど)。
それはそれで嫌いじゃないけど、そういうところで育ったぼくにとって、「文化」というのは、もっと、ごちゃごちゃしていて、建て込んでいて、道が迷路のように入り組んでいて、昇り下りがあるだけではなく、道の左側は昇っていて、右側は下っているというような高低差があり、歪んだり捻じれたりした平面が様々な高さで交錯し、曲がりくねって先が見えず、表情の濃淡にバラツキがあり、少し位置を移動するだけで見え方が劇的に変わるような風景、というイメージだ。こういう風景は、長い時間をかけて(時間差をもって)、非計画的に(前にあるものが整理されないまま新たに付け足してゆくように)つくられていった土地でないと、なかなか体感できない。