●どんなに拡大しても細部がくっきりしている、10K画質によるタイムラプス画像。
http://www.gizmodo.jp/2015/02/timelapse-shot-in-10k.html
技術の具体性を知らないぼくのような素人はすぐに飛躍した妄想を発動してしまうので、ここまで来たら、そう遠くないうちに、カメラで撮影するだけで、古典物理学的なレベルでは、その時、その場所の、世界のそのまままるごとが再現可能なくらいの情報を記録できるようになってしまうのではないか、みたいな感想を持ってしまう。
映像が、その元となった撮影された世界そのものと、ほぼ同等(同等に限りなく近いもの)になってしまうのか。
カメラや写真という機械は既に、「人間の眼」や「脳」に対してあるものではなくなっていて、コンピュータによる解析を前提としたセンサー、あるいは人工知能のための眼、というようなものになっているのだろうか。
●その時、人間の「感覚」はどこにゆくのだろうか。
(映像を観て、世界の大きさに対する自分の小ささを感じる、と共に、そのようなとてつもない俯瞰の視点を、小さな自分が得てしまっているという圧倒的な分不相応感――処理のし切れなさ――というギャップを、どう処理すればいいのか。)
(自分が見ているこの映像のなかのどこかに自分が存在している、と感じる時、今、その映像を見ている方の自分は世界のどこにいるのか。)
(世界をまるごとシミュレーションするシミュレーション世界のなかには、そのシミュレーションを行うシミュレーション装置とそれによってシミュレーションされたシミュレーション世界――自分自身――も含まれていないといけない。)
●こんな映像を見せられた後に、絵の具と筆で絵を描いているって、どういうことなのか。