●『Dressing UP』(安川有果)をDVDで。うーん。俳優はみんないい(本当にいい)し、俳優の演技や表情を豊かに引き出したり、それを的確に拾ったりするのは上手い監督っぽいから、もっとシンプルに、エキセントリックな女の子が父親やクラスメイトと衝突するみたいな話にした方が、ずっといい映画になったのではないかと思ってしまった。リアリズムで押し切った方がよかったのではないか、と。
そう感じてしまうのは、狂気の表現が割と紋切り型で面白くないということがあると思う。そこに踏み込むのならば、表現のレベルでも、そして実際的な精神病理学的なレベルでも、もっと突っ込んで考えないと駄目なのではないか、と。母親の残したノートは面白かったけど。
しかしそれよりも大きな不満は、この作品は自分が提示したものについてきちんと落とし前がつけられていないように感じてしまったということ。これじゃ終われないじゃん、というところで終ってしまっている。主人公と父親との関係を、象徴的な夢みたいなものを出してきて何かが解決されたかのようにする展開は納得できないし、何より、カッターで切りつけた主人公と切り付けられた女の子の関係を、見つめ合う「多義的な表情」に預けて終わってしまうのが納得できない。父親との間にも、切り付けられた女の子との間にも、もう一つ何かがないと終われないと感じてしまった。
そうでないと、主人公の相手(父、同級生)に対する感情だけがあって、相手側から主人公へ向かう視線(態度)が作中から消えてしまうように感じた。主人公の気が済めば終わりなのか、みたいな。
(主人公の狂気の「原因」であるかのように、「不在の母親」という装置を仕掛けていることが、この作品の主題の軸をぶれさせているようにも思った。主人公はたんに狂気をはらんだ人であって、それを「母の呪い」からくるようなものにしないほうがよかったのではないか。あるいは、「母の呪い」を描くのならば、それを「謎」のようなものにはせずに、実際に母を出してきて、母と娘の関係を具体的に描く必要があるのではないか。)
監督の才能は買えるとしても、作品としてよいとは言えないかなあ、という感じ。