●1989年の西武美術館の展覧会図録に載っていて(初出は88年の西村画廊での個展のカタログ)、二十歳そこそこだったぼくがとりわけ魅了され、影響を受けた中西夏之の文章をここに丸々引用したい。たぶん、今でもぼくはこのイメージに囚われていると、書き写していて思った。

君が僕の前にいるのは


 君が僕の前にいるのはもう一人君がいるからなのだ。君の花子がこよなく可愛いのも別のところの同じ花子がいてやはり可愛くしているからなのだ。この地上があるのは同じもう一つの地上があるからなのだ。「それなら君も二人いるのかね」と君はいったが、この地上にある総てのモノや人は仮想の地上にもあるが、僕だけは一人なのだよ。僕はこの地上の際にいて、接するもう一方の地上に片足をかけている。あちらの足をこちらに移せばこちらにいる、こちらを移せばあちらにいるというものでもない。なぜなら、その堺に垂直にたっている画布があるから、僕もそうしていなければならないのだ。画布は境界そのものであり、あるいは両方の土地を切断するように割って入り、相似の二つが重ならないようにブレーキをかけ、両方を同時に見張っている。あるいは両地上があることを保証している。
 それが画布の本当の位置であり、だからペラペラであり、それに呼応せざるを得ない僕はペラペラなのだ。しかし君も知っている扉を開け閉てするだけの男では僕はない。蝶番をはずして一方の部屋に持ち込まなくてはならないのだ。それがぼくの労働。ここまで記して来て、この先、枝分かれしようとしている。
 扉を外す力がないわけではないが、扉を外し一方を抹消したあとで僕は何もしなくなってしまうだろう。同じ地上がもう一つあるという想念で自分を騙し別の労働にかりたてておく必要があるのだよ。本来あるべき地点の画布の、仮の画布を、こちら側に立てる努力をすべきなのだ。僕はただ向きを変え軀の正面の皮膚を精一杯こちらにせりださせる。僕は遠い際にいるのではなく今は自分自身が堺なのだから。だから画布への動作もすべての動作も演技というか、仮のものだ。実際この手紙も形容詞だけで書きたいくらいに思う。絵というものはない。絵は「絵のような絵」なのだね。いや、それでは不徹底、「絵のような」のみでいい。
 君が二人で僕が一人では不満のようだったけど、君が僕の立場をとれば僕は二人になる。僕としては君同様気持ちよくない。がこの絵描きの位置は僕だけで充分だろう。


●(追記)この文章の後半では「僕」もまた二人になっているはず、なのだろうか。二つの世界の接点にいて、二つの世界が重ならないようにしていた一人の「僕」と一枚の「画布」は、蝶番を外して扉=画布を、《一方の部屋に持ち込》む。その時、「僕」は世界の接点で世界を支える者ではなくなって、どちらかの世界に属することになる。
ここで二つの矛盾することが書かれている。《この先、枝分かれしようとしている》と、《扉を外し一方を抹消したあとで(…)》と。世界は、二つに枝分かれしたのか、一方は消滅したのか。それは、既に一方に属してしまっている「僕」にはもう分からない。「僕」にとっては、もう一方は消えた。しかし、切り離されたもう一方の世界は存続しているのかもしれない。
そこで、既に一方に属してしまった『僕』は、「ここ」に《仮の画布》をたてて、あたかもそれが《堺》にある画布であるかのような演技をして、その仮の動作をすることを通じて、《同じ地上がもう一つある》という《想念》を成立させなければならなくなる。
それはつまり、もう一つの地上においても、そちらにいる「僕」が、こちらの「僕」と同じように、仮の画布をたて、仮の動作をして、「絵のような」を生じさせていると想定していることを意味する。ならば、「僕」もまた皆と同じで二人いることになる。しかしおそらくそうではなく、「ここ」の『僕』と「そこ」の『僕』は一人の「僕」なのだ。他の人は皆二人でも、『僕』だけは(少なくとも本来は)一人であるということによって、《同じ地上がもう一つある》という《想念》が成立しているのだから。
この時に「僕」は、二つの世界を結ぶワームホールのような穴であることになる。ワームホールである「僕」、あるいは「僕」による仮の動作(絵のような)によって、膜(画布)が、二つの世界の「境」という本来の位置に置かれる、という《想念》が成り立つ。膜=境としての画布と、穴=通路としての画家という妄想(イメージ)。