●ステム・メタフィジック研究会の忘年会。翌日に用事があったので、朝までコースではなく終電で帰った。
モダンとポストモダンとの間に大きな切断線があると考える人と、モダン-ポストモダンを連続的なもの(段階的な展開)だと考える人との間に、「現在」にかんして大きな認識の齟齬があるように思われる。モダンとポストモダンとの非連続性を考える人にとって、現在はまさにポストモダンの爛熟期(ポストモダンの本格的現実化)だという認識があると思うのだけど、一方、モダンとポストモダンとを連続性として考えている人にとっては、そのひとまとまりの長く続いた「モダン-ポストモダン」の時代が今や終ろうとしていて、それらとはまったく異質な何かが新たに立ち上がっているという認識になると思う。
(「ポスト・ポストモダン」みたいな言い方も、ポストモダンがより一層進展しているということなのか、モダン-ポストモダンからの切断が意識されているのかが分かりにくい。)
そして、この研究会に集まる人たちはおおむね後者だと考えている、感じている、ということでいいのだと思う。
ややこしいのは、この両者が、しばしば同じ固有名や同じ用語について語っていて、そこで語られていることに大きな意味の違いがあるのに、その違いが見えにくいという点だろう。たとえば「動物」という語。「動物化するポストモダン」というような時の、ヘーゲル-コジェーヴ的な(ハイデガーを含んでもいいけど)哲学史を背景とした「動物(脱近代化した人間の比喩としての動物)」と、もっとベタに、ヒトも動物の一種であるという生物学的な連続性(や、あるいは人類学的な多自然主義)を背景とした「動物(人間の脱中心化)」とでは、同じ語でもこめられた意味がかなり異なるんじゃないかと思うのだけど、混同される。