2020-07-20

●森﨑東が亡くなったことを受けてだと思われるが、森﨑作品でDVDソフト化されていないものを、VHSからアップロードしている人がいて、それで『高校さすらい派』という映画を観た。はじめの方をちらっと観てみるくらいのつもりだったのだが、引き込まれて最後まで観てしまった。

東大安田講堂の事件(1969年)とあさま山荘事件(1972年)の間の1970年につくられたいわゆる学園紛争モノと言えるのだけど、旧制高校風のマントを羽織った少年院上がりの森田健作が、編入した高校で生徒たちの闘争を引っ張っていくという、かなりミスマッチな設定。ホモソーシャル的なバンカラモノの要素-定型と、進歩派左翼的な闘争モノの要素-定型という、食い合わせの悪い(そして現在からみるとどちらも古くさい)形式が混ざっていることで混乱しているように見えるが、最終的にはそのどちらの定型にも収まらない力が、定型を内側から食い破っているように思われた(圧倒的に、というよりは、かろうじて、という感じだが)。「正直、ちょっとこれは…」と思いながらも、徐々に引き込まれていって、最後まで観たら、面白かったと納得した。

(森田健作からしたら、こんなアカっぽい映画の主演をしたことは黒歴史かもしれない。「おれは男だ!」の森田健作にこういう役を割り振るというのは皮肉が効いていると思ったのだが、「おれは男だ!」がはじまるのは71年からなので、この映画より後だ。)

(70年前後の時期は、たとえばマンガなら赤塚不二夫永井豪ジョージ秋山など、大衆文化のレベルでも「反体制的な空気」は充満していたから、バンカラ+学園紛争という結びつきも、そのような空気から来ているのかもしれない。実際この映画には、ニャロメ風の絵やアシュラ風の絵が出てくるし、シリアスな---ハレンチ抜きの---『ハレンチ学園』という感じもある。)

序盤がバンカラモノで、中盤が集団による学園紛争モノ、そして終盤になると、集団から抜け出して先鋭化した男女三人の関係へと焦点が絞られていく。この映画では、序盤の森田健作と終盤の森田健作とでは同一人物だとは思えないくらいに違っている。映画としては、序盤はちょっとキツい感じで、中盤から終盤にかけて面白くなっていく感じ。終盤になってようやく森﨑東っぽくなる。

(この映画がつくられた1970年に、森﨑東は他にも、『喜劇 男は愛嬌』と『男はつらいよ フーテンの寅』をつくっている。)