2021-01-03

●U-NEXTで、NHKEテレの「100分de名著」が観られるのだが、プルデューの『ディスタンクシオン』を読むシリーズで解説の岸政彦が「他者の合理性」という概念を提示していて、なるほどと思った。その人が、そのようにあるのには、そうであるための(ここでは「社会的に規定された」)複合的な理由=合理性があるのだ、と。これは、その人がそのようにあるのは、そのようにあるしかない必然性の元にそうである、ということでもあろう。

ここで、正義と必然の問題ということに思い当たる。正しいことと、そうあるしかないということには違いがある。必然的に間違ってあるしかない存在というものがあるだろう。たとえば、差別は間違っている。これは間違いない。しかし、その時、差別せざるを得ない(差別する者としてあらざるを得ない)必然性のなかにいる存在というものを考える必要があるだろう。差別を肯定せよ、あるいは許容せよ、ということではない。しかし、どうしようもなく差別的であるしかない場合(条件)ということがあるのではないか。

間違っていることに対して断固として間違っていると言うことはとても重要だし、まずはそれが必要だろう。しかしそれだけではぜんぜん足りなくて、間違ってあるしかない存在には、そのようにあるしかない、それぞれに個別(固有)の必然性があるということも考えなくてはならないだろう。当然と言えば、当然のことなのだが。

それは逆に、正しくあり得る人は、幸運にも、たまたま、正しくある得る状況下にあったということに過ぎないとも言える。

●今年最初に買った本が届いた。

 

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