2021-07-22

チェーホフの「少年たち」に書かれていることは、他愛もないことだ。(おそらく全寮制の)中学に入学して今年から家族と離れて暮らす長男ヴォローヂャがクリスマスを前に帰省する。だが夏に帰ってきた時とは様子が変わっている。クリスマスの準備にはしゃぐこともなく、妹たちや犬と遊ぶこともしない。ただ、難しい顔をして、一緒に連れてきた友達のチェチェヴィーツェンと話し込むばかりだ。そこで、妹たちが彼らの様子を探ると、どうやらメイン・リードというアメリカの作家の本にかぶれて、二人でアメリカに渡ろうと計画していたのだ。アメリカで、虎や野蛮人とたたかい、金や象牙や毛皮を手に入れ、ジンを飲み、金鉱を掘り当て、美しい女の人と結婚するのだ、と夢想している。それを知った妹たちは、彼らは将来、金や象牙を持ち帰ってきてくれるのだからと、このことを親には内緒にする。当初は盛り上がっていたヴォローヂャとチェチェヴィーツェンだが、家に帰って里心がついたヴォローヂャは出発に消極的になる(ママがかわいそう)。それでもチェチェヴィーツェンに説得されて二人は出発する。二人の不在に気づいた家族は必死に捜索したが見つからず、翌日は警察にも相談した。するとそこへ二人を乗せたソリが帰ってくる。町の宿屋でつかまったのだ。二人は父親から説教され、チェチェヴィーツェンは呼び出された母親に連れて帰らされる。だがチェチェヴィーツェンは悪びれることもなく、去り際に妹のノートに「モンチゴモ・ヤストレヴィヌイ・コゴッチ(おそらくメイン・リードの小説の登場人物・チェチェヴィーツェンは彼になりきっている)」と書き付ける。

●他愛もなく、紋切り型でもあるこの話を、チェーホフはとても魅力的に書いている。たとえば冒頭ちかく、ヴォローヂャが帰ってくる場面(神西清・訳)。

《かわいいヴォローヂャの帰りを、今か今かと待っていたコロリョーフ家の人びとは、みんなわれがちに窓へへかけよった。車よせのところに、幅の広いそりがとまっている。三頭立ての白い馬からは、こい霧がたちのぼっていた。そりは、からっぽだった。というのは、早くもヴォローヂャが玄関さきにおり立って、赤くかじかんだ指さきで頭巾をほどきにかかっていたからだ。彼の中学生用の外套も、帽子も、オーバーシューズも、こめかみにたれさがった髪の毛も、すっかり霜をかぶって、頭のてっぺんから足のさきまで、そばで見ている者のほうがぞくぞく寒けがしてきて、思わず、《ぶるるる!》と言いたくなるような、すばらしくけっこうな寒さのにおいをはなっていた。お母さんとおばさんは、さっそくヴォローヂャにだきついてキッスをした。ナターリアは、かれの足もとにかがみこんでフェルト靴をぬがせ始め、妹たちは金切り声をあげた。あっちこちの扉がきしみ、ぱたんぱたんと音をたてた。その中を、ヴォローヂャのお父さんが、チョッキ姿で手にはさみを持ったまま玄関へかけてきて、びっくりしたように叫びだした。》

●ここで「お父さん」が手にはさみを持っているは、クリスマスツリーの飾りをつくっている途中だったからだということが、後に分かる。帰ってきたヴェローヂャは、チェチェヴィーツィンという、二年生(おそらく一つ年上)の友達を連れてきた。

《しばらくすると、このそうぞうしい出迎えを受けて、ぽっとなったヴォローヂャと友だちのチェチェヴィーツィンは、寒さのためにまだ赤い顔をしたまま、食卓について、お茶を飲んでいた。雪と窓ガラスの霜の花をとおしてさしこんだ冬の太陽が、サモワールの上でちらちらし、そのすがすがしい光が、フィンガー・ボールの中で水あびしていた。部屋は暖かかった。少年たちは、こおったからだの中で、暖かさと寒さがたがいに負けまいとして、くすぐりあうのを感じていた。》

●この小説でチェチェヴィーツェンやヴォローヂャ(の変化)への違和感は「妹たち」の視点から語られる(親は気づいていない様子だ)。この、誰と特定されない「妹たち」の視点が効いている(というか、この小説は、ヴォローヂャの話であるのと同等か、それ以上に、妹たちから見られたチェチェヴィーチェンの話であるだろう)。

《十一を頭に三人いるヴォローヂャの妹たち---カーチャと、ソーニャと、マーシャは、食卓に向かっているあいだじゅう、この新しいお友達から目をはなさなかった。チェチェヴィーツィンは、年まわりといい、背たけといい、ヴォローヂャそっくりだったが、ヴォローヂャのようにまるまるふとってもいなければ色白でもなく、やせて、浅黒く、そばかすだらけの顔をしていた。髪の毛はごわごわだし、目は細いし、くちびるはぶあついし、つまり、ひどくみにくい少年だった。もし、中学生の短い上着を着ていなかったら、ちょっと見たところ料理女の息子とまちがわれそうなほどだった。むずかしい顔をしていつもだまりこみ、笑顔ひとつみせない。少女たちは、彼を見るなり、これはきっとたいへんに利口な、勉強のよくできる人にちがいない、と想像した。彼は、しょっちゅう何か考えていた。そして、あまり夢中になって考えこんでいたので、何かきかれると、はっとして頭をふり、もう一度言ってもらいたいとたのむのだった。》

《そのうえ少女たちは、陽気でおしゃべりのヴォローヂャまでが、きょうにかぎって口数が少なく、ほとんど笑顔も見せず、うちへ帰ってきたことを喜んでいないような様子なのに気がついた。お茶を飲んでいるあいだじゅう、彼が妹たちに話しかけたのは、たった一回きりで、それもなんだか妙なことばを口にしただけだった。彼は、サモワールを指さしながら、「カリフォルニヤじゃ、お茶のかわりにジンを飲むのさ」と言ったのである。

ヴォローヂャも、夢中で何か考えていた。彼がときどき友だちのチェチェヴィーツィンと見かわす目つきから察するに、ふたりの少年は同じことを考えていたらしい。》

●チェチェヴィーツェンが妹たちに語るメイン・リードと「アメリカ」。

《チェチェヴィーツェンは、一日じゅう少女たちをさけて、額ごしにじろりじろりとみんなをながめていたが、夕がたのお茶がすんでから、五分ほど彼ひとりきりで、少女たちの中にとり残されたことがあった。だまっているのもきまりがわるかった。そこで彼は、あらあらしくせきを一つして、右手の手のひらで左手をこすり、気むずかしそうにカーチャを見ながらたずねた。

「メイン・リードの小説、読んだことがある?」

「いいえ、読んだことありません。……ねえ、チェチェヴィーツェンさん、あなた、馬に乗れるの?」

自分ひとりの考えにふけっていたチェチェヴィーツェンは、この質問には答えないで、ただぷっと頬をふくらませ、暑くて暑くてたまらないとでも言うようにため息をついた。彼はもう一度、カーチャのほうに目をあげて言った。

「野牛のむれが、アメリカの大草原を走ると地面がふるえるもんだから、野生の馬がびっくりして、はねまわったり、いなないたりするんだよ。」》

●秘密を知る妹たち。ここで妹たちは、(テキストに影響された)兄たちというテキストを読む「観客」となっている。

《チェチェヴィーツェンの、何が何やらまるでわからない言葉といい、彼がたえずヴォローヂャとひそひそ話をしていることといい、ヴォローヂャが遊びもしないで、しょっちゅう、何か考えこんでいることといい、---こうしたことは、みんなひどく謎めいていて、奇妙だった。そこで、上のふたりの娘のカーチャとソーニャは、注意深く少年たちを見守り始めた。夜になって、少年たちが寝に行くと、このふたりの娘は扉にしのびよって、彼らの話をぬすみ聞きした。ああ、少女たちは何を知っただろう? 少年たちは、どこかアメリカあたりへひと走りいって、金鉱を掘り当てるつもりでいたのだ。》

《クリスマスの前の日の朝早く、カーチャとソーニャは、そっと寝床から起きて、少年たちがアメリカへ逃げ出すようすをのぞきに行った。ふたりの少女は、とびら口へしのびよった。

「じゃ、君はいかないんだね?」と、チェチェヴィーツィンが、ぷりぷりしながらたずねた。「はっきり言えよ、行かないんだね?」

「だってさ、」ヴォローヂャはしくしく泣いていた。「どうして僕、いけるだろう? ママがかわいそうなんだもの」》

《(…)チェチェヴィーツェンは、ヴォローヂャを説きふせるために、アメリカをほめたたえたり、虎のまねごとをしてほえたり、汽船の話をしたり、ののしったり、象牙はむろん、ライオンや虎の毛皮もみんなヴォローヂャにあげると約束したりした。

今や、少女たちには、このやせこけた、浅黒い、髪の毛のごわごわしたそばかすだらけの少年が、ほかの人たちのおよびもつかない、りっぱな人のように思われた。彼こそは、英雄であり、ものおじしない、大胆な人であった。そして、彼のほえかたは、扉の外で聞いていると、ほんとうに虎かライオンがほえているのかと思われるほどじょうずだった。

自分の寝室に帰って着がえをしているとき、カーチャは目にいっぱい涙をためて言った。

「ああ、わたし、とってもこわいわ!」》

●Thomas Mayne Reid (Wikipedia)

https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Mayne_Reid