2021-12-06

●U-NEXTで『母娘監禁・牝』(斉藤水丸)を観た。にっかつロマンポルノ最末期と言える87年の映画。恥ずかしながら、この映画の存在も、前川麻子という人のことも、つい最近まで知らなかった(「品行方正児童会」という劇団名はなんとなく耳覚えがある)。森田芳光の『家族ゲーム』で「沼田くん好きよ」と言っていたのが前川麻子だと言われれば、ああ、あの場面のささやきは素晴らしかったと思うけど、具体的な女性の像は浮かばない。

正直言えば、「ひこうき雲」と岡田有希子の自殺を結びつけて、三人の女子高生が「死んじゃおうか」みたいな話をしていて、そのうちの一人が本当に飛び降りてしまう、みたいな話の運びというか、コンセプトは、安易としか思えず、しかも脚本では最後に前川麻子もまた飛び降りることになっていたらしいのだが、ラストが脚本通りだったらドン引き以外のなにものでもなかったと思う。

(とはいえ、時代の空気が濃厚に反映されているということはあると思う。最初の方で、国鉄の民営化の話や、組合員いじめの話などが出てくる。)

しかしそれが結果として傑作と言えるような映画になったのは、(監督が素晴らしいラストを考え出してコンセプトを反転させたということもあるが)ひたすら前川麻子と加藤善博がすばらしいからだろう。そして、それはこの映画の物語とはあまり関係がない。映画では、コンセプトや物語とは(あまり)関係なく、「ただたんに俳優がすばらしい」ということがあり得るのだな、と思った。

(「俳優がすばらしい」は、「演技がすばらしい」とは違う。)

(もちろん「ただたんに俳優がすばらしい」という状態をきちんと拾い上げて、そのように構築するのは監督の手腕なのだが。)

●最初に自分が「死んじゃおうか」と言い出したのに友人に先を越されて死に損なった前川麻子が、死の側にも生の側にも傾倒できずにふらふらと家出をして、そこで加藤善博と出会うことで「生のための場」を得るのだが、加藤善博が駄目な男で、徐々に酷いことをされるようになっていき、しかし「生のための場」はそこしかないので離れられない。それでも、もうこれ以上は堪えられないところまで行って母に助けを求め、母が娘以上の酷い目にあわされることを交換条件として、娘はそこから解放される。すっかり酷い目にあってうちひしがれ、雨のなかを家へと向かう母と娘。死でも生でもなく中空をふわふわ彷徨っていた娘は、(母ともども)酷い目にあうことで「俗世」へとたたき落とされる。そのたたき落とされた「俗世」こそがこれからの娘が生きていくであろう場所であり、たたき落とされることで逆説的に娘は「生」へと定着する。今後、地を這うように生きるであろう娘の後ろ姿に、皮肉であるかのように「ひこうき雲」が重なって終わる。話の流れとして、一応は納得できる形になってはいるが、これ自体としてはそこまですばらしいという程のことはないと思う。

(とはいえ、冷蔵庫から「鼻ぐずぐず」へとつながるラストへの展開-演出はすばらしく、それがこの映画を救っていると思う。)

●そういえば加藤善博はもうこの世にいないのだなあ思いながらウィキペディアをみていたら、前川麻子のブログのURLがあって、それを読んだら、前川麻子と加藤善博はこの映画の撮影当時付き合っていて、撮影が終わったら結婚する段取りだったのだが、結婚より前に別れてしまったと書かれていた。『母娘監禁・牝』は、リアルガチで文字通りに前川麻子と加藤善博の「関係」によって支えられている映画なんだな…、と思った。以下、「仕事部屋」より。

http://workroom.jp/blog-entry-147.html

《「麻子、花見行こう」って電話くれたとき、「今日は稽古があるから無理だなあ。明日にしようよ」って言ったら「今日じゃなきゃ駄目なんだよ!」と激昂して電話を叩き切られ、それがあたしたちの終わりだった。あたしがまだ十六くらいの頃からずっと求婚されていて、にっかつの撮影が終わった直後に結婚することに決めたけど、そんなことで喧嘩して終わってしまったから、後でメリエスの人たちに「パーティーの段取りしてたのに」と責められたし、加藤さんも「どうすんだよ。かおりさんから結婚祝いもらっちゃったよ」と困っていた。》

《孤高の嫌われ者。偏屈。変態。ヤキモチ妬き。いつもぐちゃぐちゃな人だった。ずっと後になって下北沢で飲んだときには、もうテレビドラマの人気で腑抜けたいい人になってたけど、根っからいい人なんかじゃなかったし、ほんとにどうしようもなく駄目な駄目な人で、真夜中に泣きながら「助けてくれ」って電話があって、原チャリで駆けつけると、壁みたいに大きな棚を狭い部屋の真ん中に横倒しにしたままオープンリールでデビットボウイをがんがん流してベッドの上で踊り狂ってた。》