2022/12/28

●「水星の魔女」。前回から、一話完結性の高かった「決闘フォーマット」を完全に離れて、話が大きく動き出した。主人公の母は、相変わらず娘に対しては「完璧な母」だが、その行動はますます怪しみが深くなってきた。この「ねじれ」こそがこの物語のキーとなるのだろう。そして、能登麻美子の演技は本当に素晴らしいと思う。

「水星の魔女」は、ガンダムといっても戦争の話ではなく(テロリストが出てきたりはするが)巨大なビジネスグループの内部抗争の話で、ファーストガンダムで例えれば、地球連邦軍ジオン軍との戦いではなく、ジオン公国とザビ家の内紛だけを取り扱っているような感じだ。ただ、ここでは「国」という単位がほとんど意識されていなくて、事実上、企業(複合的な企業連合)が世界を統治しているように見える(企業連合による統治は極めてパターナリスティックだ)。そして、多くのガンダムでは地球は特権階級の住む場所だが、「水星…」では、地球は荒廃し、アーシアン(地球人)たちはスペーシアンから差別的に扱われている。この逆転はおそらく、スペーシアンたちの著しい経済発展に、地球が参加できずに置き去りにされたことによるのだろう。だとすれば「水星…」の世界は、「ガンダムUC」においてフル・フロンタルが持っていた構想が実現した世界だといってもいいのではないか。

企業連合によるパターナリスティックな支配に対して、若い世代がさまざまなやり方で抵抗するというのが、これまでの物語の骨子だと思うが、若い世代の者たちは、上の世代と戦うだけでなく、同時に同世代に対する競争も課されている。そしてこの抗争は、基本的に男たちによって行われている(決闘で花嫁=姫を獲得することで王の座が得られるという「決闘システム」がそれを如実に物語っている)。そのような世界に対して「魔女」たちが、どのように絡んでくるのか。

「魔女」とは、一義的にはガンダムを操作しても心身にダメージを受けない特殊能力を持つ者(要するにニュータイプ)で、主人公のスレッタを指す。水星という辺境からやってきた「魔女」がパターナリスティックな決闘システムを揺るがせる。ここまでは「ウテナ」の反復だ。

だが、今までのところで最も「魔女感」が強いのは、スレッタよりも策略をめぐらすその母のプロスペラの方だろう。スレッタは、ガチガチにパターナリスティックな父に抵抗しようとする娘ミオリネとダッグを組んで、正攻法でパターナリズムに対抗しようとしている。対してプロスペラは、その「まっすぐな娘たち(スレッタ・ミリオネ)」たちさえもコマとして利用して、一方ではパターナリズムの親方の懐近くまで踏み込みながら、何やら策略を持っているようだ。

スレッタは確かに決闘システムを揺るがしたが、決闘システムはパターナリズム(というか、現支配体制)の象徴でしかなく、それは子供のお遊びの延長にすぎない。現支配体制そのものを揺るがすためには決闘システムのレベルで何かをやっても意味がない。孤児であるシャディクはそれを初めから意識していたし、決闘システムから落ちこぼれた(かつての決闘の優等生)グエルもまた、徐々にそれを知ることになるだろう。決闘システムとは、しょせん学園内(子供同士)の権力抗争でしかなく、シャディクが学園の域を超えて、現体制の王であるデリングを殺す計画の実行を決断することで、決闘システムは事実上無意味化する(シェディクには、現体制下での権力抗争より上位にある、企業グループ解体という大きな志がある)。

だがこれは、成功したとしても、昔ながらの王殺し(父殺し)の反復で、男性から男性へ王位継承にすぎない。とはいえ、シェディクの志は王位の脱構築であるが。

これとは別の(決闘システムを超え出た)勢力として、スレッタ+ミリオネによる「魔女」の特性を生かした新会社設立がある。ミリオネは、会社設立に際して反発していた父に協力と指示を仰ぐことを受け入れ、一見、現体制の支配に屈したかのようにも見える。しかし重要なのはこの会社が「魔女(≒ニュータイプ)」の能力と技術に繋がっていることであり、この「魔女(≒ニュータイプ)」の潜在力が、たんに現体制だけでなく、王殺しによる王位継承というシステムそのものの破壊にまで及ぶものであるのかどうかということだ。

そして、スレッタの母プロスペラはおそらく、スレッタ+ミリオネのタッグによって生み出されることが期待される「魔女(≒ニュータイプ)」の潜在力を、さらにもう一回りメタ的なところから掠め取って、別の目的で利用しようとしているのだと思われる。