2022/12/29

●プライムビデオで『五つ数えれば君の夢』(山戸結希)。この映画、すごく好きなんだ。お話も人物も紋切り型なのだが、紋切り型をひどく拗らせている感じ。初めて観た頃には、東京女子流のことをほとんど知らなかったのだが、顔と名前が一致して、大雑把に個々のキャラがわかる程度に知った今、改めて観ると、この人にこの役を当ててくるのか、この人の顔をこう撮るのか(本人は嫌だろうなあ)、と、十代半ばのアイドルに対してけっこうえげつないと思ったりもするのだが、そのえげつなさもこの作品のカルト性を高めることに貢献している。(サブカルではない)サブカルチャー的なものの、良いところだけが凝縮されて出来上がっているような作品だと思う(規模の小ささも含めて良い、これ以上規模の大きい作品になると、この感じは消えてしまう)。

最初の三十分、小西彩乃が弾くショパンの「ノクターン第2番」が前景化することで途切れるまで、開始からずっと、背景で同じピアノ曲がリピートされて流れ続けているのだが(小西彩乃がピアノのレッスンをしている場面でも、二つのピアノ曲をぶつけるかのように流れ続ける)、ピアノのBGMにのって浮遊しながらするすると流れるようなこの三十分に、(いかにも低予算の映画で、大袈裟なことは特にしていないのだが)「映画」として細かいアイデアとセンスがびっしり詰まっていて、山戸結希という人の映画作家としての才気がビシビシ感じられる。「学校」という場をこのように撮って、このように構築するのか、という点で、極めて独創的なセンスが発揮されていると思う(画面をしばしば横断する中央線、窓を開けると中央線、それに屋上の造形 ! )。黒沢清の『廃校綺談』や山下敦弘の『リンダリンダリンダ』とタメがはれるくらいに魅力的な「(学校らしくないからこそのリアル感のある)学校」だと思う。

中盤になって、登場人物たちの関係がある程度煮詰まってくると、「センスを感じさせる」演出から、おお、そうくるのかという「大胆な演出」にシフトする。お兄ちゃん大好きな実行委員長(中江友梨)と兄との対話が、ダイアローグからいつの間にかモノローグにシフトしていくところを長回しで捉えた場面とか(山戸結希の作品ではしばしば、男女のダイアローグがいつの間にか女性のモノローグにシフトし、増殖するモノローグによって覆い被され、塗りつぶされるということが起きる)、庄司芽生と小西彩乃の体育館の舞台の上での排他的な二人きりの対話を、近すぎる不安定な切り返しと、ものすごく引いたロングショットの組み合わせで構築するところとか(この場面では、二人は自分の顔がこんなふうに撮られるのは嫌だろうなあと思うくらいの、リアルな生臭さがある)。山邊未夢と新井ひとみが駅前で対話する場面では、たんにミラーのポールが何本か立っているだけの凡庸な空間に魔法がかけられ(この場面は、特にすごい演出をしているというわけでもないのに)、特別な空間に変質する。

終盤の盛り上がり(新井ひとみの爆発)にかんしては、魅力的な演出も多々あるものの、映画としてはちょっと安易ではないかと感じるところもないわけではない(例えば、「映画」としては、新井ひとみがプールに飛び込むところは、マンガみたいな画面分割された静止画で表現するのではなく、ザブンと即物的に飛び込ませてほしかった、と思ってしまう)が、この作品は、「映画」であることよりも「山戸結希の作品」であることの方にウエイトが置かれているので(というか、山戸結希が山戸結希であることの「強さ」こそがこの作品を支えているので)、これはこれで、そのままで良いのだ。

(映画の最初の方で、新井ひとみがただ廊下を歩いているだけなのにすごくいいカットがあって、ああ、やっぱり新井ひとみはこう撮るんだなあ、と納得させられ、一方で自分の世界がすごく強くあるのだが、同時にちゃんと被写体の特徴を鋭敏に見てとって、それを生かしているのだと、当然といえば当然なのだが、思って感動する。)