2025-02-21

⚫︎『バイバイ、サンタクロース 麻坂家の双子探偵』(真門浩平)。これはすごかった。好きか嫌いか、あるいは、この作品を「良いもの」と言っていいのか、という点については保留したいが、とにかく、すごいことは間違いない。ミステリの特殊進化の最突端は、こんな形をしているのか、と。

この作品の「嫌さ」は、たとえば米澤穂信の作品から来るどすんと重く堪える絶望とは違って、頭のいい子供が残酷さをことさら弄んでいるようなところがあるが(作者は若いとはいえ子供ではないが)、すごい若者は、往々にしてこのように現れるのだろう。

あるいは、法月綸太郎の初期作品にある人間不信にはどこか幼い感じがあるが、それは若さにおける重たい切実さを伴う。しかし、そのような切実さも、ここからは感じられない。ただ、とことんまで「形式」を愚弄しようとするかのような徹底性がある。

ミステリにおける、さまざまな主題、ガジェット、推理過程(ロジックのあり方)、小道具、トリックなどが、「小さな話」の中に濃厚に詰め込まれ、蕩尽するかのように、使い尽くしてしまおうとするかのように、ためつすがめつ検討され、さまざまな展開が試みられる。大袈裟な構えではなく、さりげなく、しかし挑発的に、高解像度リミックス批評のようなことがなされている。この小さな短編連作の中でどれだけのことがなされているのかと、めまいすら感じる。

(以下、直接的なネタバレは避けますが、ネタバレギリギリまで踏み込む、というか、結果としてネタバレに限りなく近くなってしまう、と思います。というかネタバレしています。)

6つの短編からなる連作とも言えるが、一つの長編と言ってもいいくらいに緊密に構成されている。主人公で探偵役は双子の男の子で、その小学3年性から6年性までの(さまざまなニュアンスを含む)「成長」が描かれる。大雑把に言うと、最初の三篇が「いい話」で、後半の三篇が「悪い(黒い)話」という構成。中でも最初の二篇は、いわゆる「日常の謎」系で人も死なず、物事のネガティブな側面が、間違った推理を経てそれが更新されることでポジティブな側面へとひっくり返る展開なので、読後感もいい。しかし、最初の二篇で、爽やかな日常の謎系の連作だと思って油断していると、三篇目でいきなり人が死ぬ(これ以降、すべての話で人が死ぬ)。

「いい話」である最初の三篇はどれも、間違った推理を経て、正しい推理へと至る。双子はタイプの違う探偵で、兄は論理優先で、弟は動機優先のような思考傾向がある。二人はライバル関係だが、いつも兄の方が優位にある。しかし、兄が常に正しいのではなく、兄の間違った推理が叩き台としてあり、二人の検討を経て真相に辿り着く。一、二篇目は、他者の悪意の発露に見える事件で、その先入観から誤った結論を導いてしまい、より詳細な検討によって導かれた真相により、それが善意の発動であったことがわかる。謎の解決によりポジティブな結果が得られる。ただし、この段階で双子ままだ未熟な探偵である。

三篇目では、サンタクロースのいる世界と、サンタクロースのいない世界という、前提の異なった二つの世界で、二つの異なった結論が導かれる。前者が兄の推理で、後者が弟の推理だ(つまり、弟はサンタクロースを信じている)。世界の前提次第で、どちらも論理的に成り立つ(そして、どちらも「犯人」は同じ)。そして、この世界にサンタクロースは存在しないことを兄が証明することで、兄の推理が正しいことになる。これは、サンタクロースが存在するファンタジー世界が舞台のフィクションであるならば弟の推理が正しいことになり、それはつまり世界設定における作者の恣意性が、論理的な帰結に影響を与えるということを示している(後期クイーン的問題 ? )。

さらに、この話では、父を失った同級生には、弟の間違った推理の方が真実として語られる。三篇目でもまた、正しい推理は「父の善意」を表現している。同級生は(実質的に母を殺したに等しい)父を激しく嫌っており、父の死とそれによって天涯孤独になったという現状を、父への嫌悪によってギリギリ耐え得るものとしている。つまり、彼が思ってもいなかった「父の思い」を知ることで、父を失ったショックに加え、生前の父への態度や感情についての(取り返しのつかない)後悔や反省をも持つことになる。だから、彼が「父の思い」を知るのは今でなくても、もっと成長してからでよいという判断で、父への嫌悪が持続し得る弟の推理が彼にとっての(仮の、将来覆されるべき)真実として語られる。状況によって、「間違った解」が「真実(とされる)」ことがある。弟の推理はサンタクロースの存在を前提としており、同級生もサンタクロースを信じている。ここに、部分的に「サンタクロースの存在する世界」が成立する(多重的な真実)。

ここまでが「いい話」の世界だが、この後、黒い世界に入っていく。四篇目は、作中で最も異様な話と言える。謎解きのミステリとしては、明らかに不恰好というか、不細工な形をしている。もちろんそれは意図的なものである。ここでは、どこまでも論理に基づく推論を愛していた兄の態度変更がある。ここで兄は、ロジックによって謎を解くことを放棄する。犯人に対して心理的なショックを与え、それに慌てた犯人がとった行動を隠れて観察することでトリックを見破るのだ。美しいロジックや見事な推理などどうでもいい、とにかく犯人と犯行手段を暴くことが最優先される(そしてこれが兄の「成長」である、とされる)。しかも、そのトリックには、それまで一度たりとも伏線としても登場してこなかったある「物」がいきなり重要な構成要素として登場する。え、伏線なしにいきなり「それ」が出てくるなら、なんでもありになってしまうじゃん、と読者は思う(「作者の恣意性」のあからさまな提示)。現実ではそのようなことはいくらでもあるが、ミステリとしては明かなルール違反が意図的に(挑発的に)行なわれている。ある意味で『翼ある闇』の小規模なパスティーシュのような感じすらある。

さらにこの話では、犯人の犯行の動機がまったく明かされないし、問題にもならない。かつて仲良しだった五人組だが、何かしらの隠された事情がありそうだということが濃厚に匂わされるのだが、「匂わされる」だけで事情は明かされない。誰が、どうやったのか、だけ分かれば良い。徹底して動機が無視されるていることに驚くが、今まで最近のミステリを読んできて、「動機」部分が最も安っぽくて付け足し的であることが多かったので、この批評的な「動機の無視」は納得できる。

四篇目が異様に不恰好な形をしているのと対照的に、五篇目は、非常に見事で美しい超絶技巧の謎解きミステリになっている。双子は5年性になり、推理の手際も見事に洗練されてきている。ただ、この五篇目は作中で最も非人間的な話だ。双子の探偵は、同級生が死んだ事件を、暇つぶしのパズルゲームのようにしか扱わない。人の命と、一匹の金魚の命とが、取り替え可能なものとしてほぼ同等に扱われる。酷い話だが、同時にミステリとしては洗練されててとてもいい話なのだ。これは、ミステリというジャンルへの、とても強い皮肉と言えるだろう。

そして衝撃の最終話。これでもかというほどにネガティブな要素ばかりが詰め込まれた、そして、これまでのすべてを台無しにするような「黒い」話だ。ここには濃厚に悪意が込められているが、しかし前述した通り、この悪意にはどこか稚戯めいた軽さがあり、故に、濃厚な悪意にあてられて「ううっ」となるとまではいかず、それがこの作品の弱さでもあり、救いでもある。

ここでは、ミステリにおける典型的な双子の主題の展開があり、その意味では意外性は案外薄いと言えるかもしれない。双子の探偵は相補的な存在であるが、兄が優位なポジションを常に取っている。そして、主に弟の一人称から描かれる(兄の視点になることはない)。客観的な状況とロジックを優先する兄に対して、人の感情=動機を推測することから推理を組み立てる弟という特性の対比があり、故に(ネタバレだが)語り手=犯人であるこの話は、作中で最も「心理(動機)」が重視される。つまり、五篇目では徹底して人間性が軽視されていたのから反転し、最終話では(ネガティブな意味で)濃厚に人間(感情)的であるのだ。

(四篇目で芽生えた兄への不信と、五篇目における徹底した兄に対する敗北―-しかしここで兄は弟をとても高く評価しているのだが-―が、弟の「動機」を表現しているとも言える。)