2002-01-01から1年間の記事一覧

昨日からのつづき、ゴーキーについて

(昨日からのつづき、ゴーキーについて) ●1940年以降のゴーキーの作品は、厳密には抽象とは言えず、風景だったり室内だったりを思わせる空間に、植物とも動物とも人間ともつかない有機的な形態が事物として配置されているようなつくりになっている。(昨日のリ…

02/10/31

●最近、アーシル・ゴーキーという画家(これ、とか、これ、とか、こんな、感じ)の存在が気になっている。例えば、去年から今年にかけてかなりの量を観ることが出来た岡崎乾二郎のペインティングを観ながら、チラチラと頭に浮かんでいたのがゴーキーのことだっ…

大江健三郎と伊丹十三

●大江健三郎の『さようなら、私の本よ!』に、塙吾良の「ダンデライオン」(伊丹十三の『タンポポ』)をアメリカで観て、彼は詩人だと思った、ということを言う、中国系の女性(清清)が出てくるのだけど、あのエグい映画を観て「詩人」とか思うというのは、どう…

02/03/16

●歯医者の治療というのは、その治療自体は痲酔を使って行うので、大して「痛み」を感じることはないのだが(痲酔の効きづらい体質らしく、何度も打ってやっと効く。歯茎の奥の方まで長い針が入ってゆくプツッという感触。)、威勢よくガリガリと歯を削られた後…

02/03/15

●同時代の作家の作品への評価や判断というのは、どうしたってその人物に対する個人的な感情だとか人間関係のしがらみなんかが絡んで、影響を受けてしまう。あいつの父親には世話になったとか、あの子は好みのタイプだとか、あいつはの俺の親切をアダで返しや…

02/03/14

●疲れた。VOCA展に関連したシンポジウムとオープニング・レセプション。シンポジウムで交わされる言葉のあまりのヌルさに驚き、昨日も書いたけど改めて美術に「言葉」が足りないということを思い知るのだった。いったい、シンポジウムのパネラーの先生方…

02/03/13

●アトリエに何やらアヤシイ人影がどこからともなく集まり、ひそひそと密談を交わす。同世代の画家たち何人かが集まって、様々な個々の作家や批評家たちについてのそれぞれの評価や、美術の現状についての認識などの意見を交わし合う。個人主義的というのか、…

02/03/12

●「新潮」4月号の青山真治『Helpless』(小説)。この小説を、一体どのように読んだらいのだろうか。何とも稚拙な小説だと言って切り捨ててしまうこともできるし、小説について真剣に考えているような人なら当然そうすべきだろう。いかにも中上かぶれの文章が…

02/03/11

●印象派のもっとも革命的なところは、タッチ(筆触)に自律的な価値を与えたというところにあると思われる。モネの画面を観てまず最初に目に入ってくるのは、光というよりもウネウネとうねって画面を覆い尽す筆触であるだろう。明暗やモデリングのためのグラデ…

02/03/10

●店の軒先などから出ている、幌と言うのか、日よけと言うのか、折り畳み式の骨組みに張られている、ハンドルをくるくる回すと出たり引っ込んだりするような、頭上に張り出ている防水加工された布が、バサッ、バサッ、と大きな音をたてながら、まるで海中にい…

01/03/09

●花粉が飛んでいるのであまり外を出歩きたくはないのだけど、あまりに春らしい日和につられてふらふと出掛ける。緑地のなかには、日の当らない場所で、冬の乾燥した匂いとは違う、じとっと湿った土の匂いがし始めているところもある。地面を踏み締める足の裏…

02/03/08

●画家の今井俊満氏が亡くなられた。アンフォルメルの画家として世界的に活躍したかと思えば、いきなり「花鳥風月シリーズ」で日本に回帰し、しかしそんな日本回帰など悪い冗談でしかないとでも言うように「広島」や「南京」を題材にした作品を発表して物議を…

02/03/07

●久しぶりに冷え込んだ夜。それでも、絵具のついた手を洗う、蛇口から出てくる水は、冬の痛いほどの冷たさとははっきりと違う。アトリエからの帰り道、小川沿いの道を水音を聞きながら坂を下ってゆく。中学のグランドから急速に下っている土手の木にびっしり…

02/03/06

●銀座テアトルシネマでフィリップ・ガレルの『夜風の匂い』。シネマスコープ・サイズの画面にカトリーヌ・ドヌーブがあらわれる。階段を上り、鍵を取り出して部屋に入り、コートを脱ぎ、ベッドのまわりに香水をまき、手帖に言葉を書き付ける。これら一連のシ…

01/03/05

●東京国立近代美術館で『未完の世紀・20世紀美術がのこすもの』。これだけの量の作品を一遍に観るのは容易ではなく、どうしても一点一点の見方が荒くなってしまいがちだし、ぼくは「日本の近代美術」について充分な知識があるとは言えないので、個々の作品を…

02/03/04

●『Eclectic』について話していて、「あのアルバムについて官能的なんていうのは意味ないですよ、あきらかにそう聞こえるように作ってあるんだから、むしろ禁欲性について言うべきですよ」と言われた。例えば声を禁欲的なまでにコントロールしていること、オ…

02/03/03

(昨日の補足)●その、誰もが思わず引いてしまうほどの「ゴリゴリ」ぶりが何ともトッポくて挑発的だという意味で青山真治の『すでに年老いた彼女のすべてについては語らぬために』はカッコイイと思うのだけど、そこで言われているような、日本という空間内部に…

02/03/02

●2/28に観た青山真治の『すでに年老いた彼女のすべてについては語らぬために』に導かれて、スガ秀実『「帝国」の文学』の「漱石と天皇」の章を読み返してみた。ここでスガ氏が、漱石が大逆事件について間接的に語っているとして引用している『思ひ出す事など…

02/03/01

●高野文子の『黄色い本』(講談社)の表題作だけ読む。一度に読んでしまうのは何とも勿体無い。高野文子の新作を読めるという機会はホントにたまーにしかないのだけど、その度に高野氏に対する尊敬の念が深くなるばかりだ。ある作品(ここでは『チボー家の人々…

02/02/28

●時間がないので、ちょっとだけ。アテネ・フランセ文化センターで、黒沢清『2001映画と旅』(15分)、阪本順治『新世界』(18分)、青山真治『すでに年老いた彼女のすべてについては語らぬために』(51分、全てビデオ)の3本立て。どれも、とても面白い。『花子さ…

02/02/27

●「よりぬき偽日記」に『got to give it up(映画・読書・その他、17)』を追加しました。●夕方、アトリエへ行く途中に駅前にある小さなCD屋に『Eclectic』を買うために寄った。このCD屋の前は毎日のように通るのだけど、ここで買い物をすることはほとんど…

02/02/26

●「疲労感」と言うか「いっぱいいっぱい感」とでも言うのか、そういう感じは、徐々に蓄積されてくると言うよりも、ある日、ああ来たかなあと思った時には既に身体じゅうを満たしていて、もう溢れてしまいそうにまでなっている。確かにここんとこ立て込んでバ…

02/02/25

●『重力』を購入する。まだ討議とインタビューしか読んでいなくて、作品=内容にまで踏み込んではいないのだが、この試みが興味深いのは、「お金と流通過程」という部分についての実験=実践、つまり市川真人氏の言う「文芸作品の可能な流通のあり様について」…

02/02/24

●大勢の人々が集まっていて、華やいだざわめきがあちこちからたっている巨大な室内プール。水深がとても深いのだが水の透明度が高いので、底の方まで明るく光が満ちている。プールに飛び込み、人混みから逃れるように深くまで沈んで水底のあたりを息がつづく…

02/02/23

●人は「顔」を見ない。ただ認識し判断するだけだ。この顔は母親であるのかライバルであるのか。私に利益をもたらすのか危害を加えようとしているのか。笑っているのか怒っているのか。美しいのか醜いのか。好みなのか嫌いなのか。異性であるのか同性なのか。…

02/02/22

●夜中から既に多量の花粉が飛んでいる。午前3時頃に目が覚めた時から、目がしばしばするし鼻がむずむずしてハナミズが垂れる。朝方、電車に乗っても、多くの人が、目をパチクリさせ、鼻をズーズ-すすったり、ティッシュを取り出してモゾモゾしたりしていた…

02/02/21

●夜遅く、NHKで新日曜美術館の再放送でバルテュスをやっていた。バルテュスと言うと必ず少女とかエロスとか言うことになっているのだけど、ぼくがまず思うのはクールベとの関係で、少なくとも初期のバルテュスの創造性の多くの部分は、1930年代において、…

02/02/20

●絵を描くということ、制作するということを、何か特別なことのように神秘めかして言うのは好きではないのだけど(たとえ神秘めかしたとしても、人がそれを納得してくれるようなエラい作家でもないし)、それでも絵を描くには多分スポーツをする時に近いような…

02/02/19

●ここ何年かつくっていた作品とは、ちょっと違った制作システムの作品をつくりはじめる。とりあえず100?×80?くらいのサイズの連作として。いきなり違うことを始めたという訳ではなくて、かなり前からドローイングで試したり、去年の終りくらいからはタブロー…

02/02/18

●実は今日はこっそりと、シネセゾン澁谷へ、イオセリアーニの『素敵な歌と舟は行く』を見直しに行ってきました。いろいろと反省しました。冒頭のシーンの終りで、積み木をしていた女の子が何かリモコンのようなものを手にしていて、そこでショットが途切れ、…