2006-02-01から1ヶ月間の記事一覧

●細かく、冷たい雨。靄がかかっていて、高いビルを見上げると、上の方は白く霞んで消えている。その白い靄のなかから、黒いカラスが、一羽、二羽と現れ出て、再び,靄のなかへと消えて行く。トラックを停め、降ろした荷物を台車に高く積み上げ、とこかへ運ん…

『絵画の準備を』(岡崎乾二郎/松浦寿夫)は何度も繰り返し...

●『絵画の準備を』(岡崎乾二郎/松浦寿夫)は何度も繰り返し読んだ本で、新装版が出て多少改訂されていたとしても改めて手に取ろうとは思わなかったのだが、昨日、美術館の帰りに寄った本屋でみてみたら、新しい章が一つ加えられていたので、買って読んだ。 ●…

横浜美術館レクチャーホールで『美の美』(吉田喜重ほか)

●横浜美術館レクチャーホールで『美の美』(吉田喜重ほか)の、ダ・ヴィンチ篇、蕪村篇、宗達篇、フェルメール篇を観て、帰って、ビデオで、マネ篇、セザンヌ篇、ゴッホ篇を観た。(『美の美』は、吉田喜重が74年から4年間かかわっていたテレビの美術ドキュメン…

『対論・彫刻空間』(若林奮/前田英樹)で、若林奮が...

●『対論・彫刻空間』(若林奮/前田英樹)で、若林奮がとても興味深い発言をしていた。 《私の日常はほとんどすべての時間は人間が作った工業物を利用し、その中で暮らしています。人間の作った世界が形成され、その中で様々な出来事に出会うし、美術もそこで発…

●電車から降りたところはホームの端の方で、少し歩いて戻って階段を昇り、自動改札を出て左に曲がる。(いつも思うのだが、自動改札機は切符を入れると、何もそんなに勢いよくなくても...、という勢いで暴力的にバシッと大きな音をたてて開く。)改札を出ると…

アレクサンドル・ソクーロフ『ファザー、サン』

●東銀座の松竹試写室で、アレクサンドル・ソクーロフ『ファザー、サン』。ソクーロフが何をやろうとしたのかはよく分からないのだけど、やたらと面白い。タイトル通りに父と息子の話で、父と息子のよく分からない濃密な関係が描かれるのだけど、ソクーロフと…

吉田喜重『告白的女優論』

●吉田喜重『告白的女優論』をビデオで。ぼくが吉田喜重の映画をある程度まとめて観たのは確か『嵐が丘』が公開された頃で、その時はすこしハマったのだけど、最近の吉田ブームにはほとんど関心がなかった。必要があって『美の美』のシリーズを観ることになり…

『大塚康生インタビュー・アニメーション縦横無尽』

●『大塚康生インタビュー・アニメーション縦横無尽』(大塚康生・森遊机)。職人や技術者の話は、聞き手が上手く話しを引き出しさえすれば面白いに決まっている。特に、そのジャンルのパイオニアとなればなおさらだろう。(ウェブで読める神山健治のインタビュ…

稲生平太郎『アムネジア』

●稲生平太郎『アムネジア』。こういう「お話」は、どうしても気になってしまう。それは、子供の頃に天澤退二郎の童話を好んでいたり、最近のものはちょっと安易なのではないかと疑問を持ちつつも松浦寿輝の小説が気になってしまうというのとも繋がる、ぼくの…

小島信夫『各務ケ原・名古屋・国立』

●小島信夫『各務ケ原・名古屋・国立』。読むのに一週間以上もかかってしまった。何故、小島信夫の小説は、こんなに読むのに時間がかかり、労力がかかるのだろうか。そして、苦労して読み終えても、「読み終えた」という手応えのようなものはあまりない。しか…

「季刊思潮」の荒川修作(2)

●昨日の荒川修作の引用は、いきなりそれだけ読むと、支離滅裂で、「頭のおかしい人」が喋っているように感じられるかもしれないけど、荒川氏の作品や発言に対して一定の関心を持続させている人ならば、余計な装い(例えば認知科学的な語彙だとか)が紛れ込んで…

「季刊思潮」の荒川修作

●「季刊思潮」という雑誌(「批評空間」の前身)の1号(1988年発行)に、確か荒川修作の講演の記事が載っていたはずだとふと思い出して、本棚から引っ張り出して読んでみたらやたらと面白い。『建築する身体』や『生命の建築』よりもかなり分かりやすく(?)、面白…

ジム・ジャームッシュ『ブロークン・フラワーズ』(2)

(昨日のつづき、ジム・ジャームッシュ『ブロークン・フラワーズ』について。) ●『ブロークン・フラワーズ』は、まるでそれを意識したかのように、ヴェンダースの『アメリカ、家族のいる風景』との共通点が多い。主人公が、人がうらやむような成功した中年の…

ジム・ジャームッシュ『ブロークン・フラワーズ』(1)

●渋谷の東芝エンタテイメント試写室で、ジム・ジャームッシュ『ブロークン・フラワーズ』。(凄く盛況で、あと5分着くのが遅かったら観られなかった。)ジム・ジャームッシュの映画は、ひとつひとつのシーンがとても素晴らしいし、そこに登場する人物の描写が…

●昨日あたりから急に寒さが緩んだせいでか、体調が良くない。どこが悪いというのではないが、からだを動かすのがかったるくて、頭がどんよりと重たくて、そして、一日中眠い。電車に乗って座ると、眠り込んでしまう。あたたかな日射しを浴びて、からだの緊張…

●ぼくが住んでいるのは、駅から南側へ、小高い丘へ向かってゆるやかな坂道を昇ってゆく途中にあって、住んでいるアパートを過ぎたくらいから、坂の傾斜は急にきつくなって丘の頂上へとせり上がるようにつづいてゆく。部屋から駅へ向かって坂を降りている途中…

●必要があって、ポレポレ東中野に、吉田喜重のテレビドキュメンタリーシリーズ「美の美」のボッシュ編(『幻視の画家ボッシュ』)を観に行った。はやめに東中野の駅に着いたので、駅の周辺を散歩していて(冬枯れの枝が電信柱に絡み付くようにのびている大きな…

楳図かずお『ROJIN』『イアラ』

●美容院での待ち時間に「女性自身」だか「女性セブン」だかどっちか忘れたけど、そのどちらかをパラパラめくっていたら、楳図かずおの『ROJIN』という短編が載っていた。新作ではなく70年代に描かれたものらしくて、人間が皆20歳で死んでしまう世界で、5歳の…

●電車に乗ってうとうととしていたら、やたらと興奮したカン高い調子で喋る女の子の4人組が途中の駅で乗って来て、なんだこいつらうるせーなあ、と思っていたのだが、そのおしゃべりを聞くと(聞き耳をたてていたわけではなく、嫌でも聴こえてしまうのだが)そ…

●友人の展覧会を観に吉祥寺まで行って、そのギャラリーが井の頭公園のすぐ近くで、暖かいとまでは言えないけど、冴え冴えとした空から光が降り注いでくるような天気だったので、公園を散歩してみることにした。ギャラリーが、井の頭公園の三鷹寄り(という言…

青山真治『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』

●テアトル新宿で、青山真治『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』。驚く程、面白くなかった、と書くと、攻撃的、批判的に聴こえてしまうのでいそいで付け加えるのだが、これは作品や青山監督への批判ではなく、この映画を面白がることの出来ない自分に対する戸惑…

世界は決してフラットではない

●「新潮」(3月号)の連載のはじめの方で保坂和志が、世界は決してフラットではないということを書いている。《絵の具の色も布の染色に使う色も焼き物の色も、すべてそれぞれに、試行錯誤を経て自然から採取されてきたものであって、赤を作り出せたからといっ…

あの『ヘリウッド』(82年)の長嶺高文が...

●ビデオ屋で、あの『ヘリウッド』(82年)の長嶺高文が『けっこう仮面』の監督をしているDVDを見つけて、思わず借りてきて観たのだけど、「ああ、予算がないんだなあ」という以外の感想をもちようのない、悪口さえ言いようのない淡白なつくりで拍子抜けした。…

ポロック

●新宿まで映画を観にいこうと思っていたのだが、ポロックの画集を見ていたらとても面白くて、出掛けるのをやめてしまった。ポロックは基本的に野暮ったくてマッチョな画家で、初期の作品のまるでシケイロスみたいな重たくて大仰な絵はまったく好みではないの…

●人は、決して「言ったこと」だけによって何かを言うのではなく、「言ったことと、言わなかったこと」の総体によって何かを言おうとする。これは、わざわざ図と地とかいうことを(あるいは精神分析を)持ち出さなくても、当然のことではある。しかし、このこと…

デュシャン

●ぼくは昨日の日記で、まるで当然のことのように、デュシャンによるレディメイドの提示は「レディメイドなイメージ」に亀裂をいれるためのものだ、というように書いたが、それはどの程度まで本当なのだろうか。確かに、デュシャンが仰向けに寝かせた小便器に…

デ・クーニングなど

●随分と久しぶりに、デ・クーニングの画集をじっくりと眺めながら、いろいろとりとめもなく考えていた。(だから以下はとりとめのない思いつき。)ぼくにとって十代の頃にアメリカの抽象表現主義に魅了されたのが絵画にはまり込むきっかけで、特にデ・クーニン…

考えをまとめるための引用集。樫村晴香

●考えをまとめるための引用集。樫村晴香。 ●人間の認識が、いかに「対象関係」に依存し、束縛されているかについて。(「ドゥルーズのどこが間違っているか?」より) 《より分析的な視角から、もう少しニーチェの体験を考察しよう。そもそも科学的にみれば、同…